第13話 『阿鼻叫喚』の順位発表!落胆する日向に磯川は――?

文字数 3,228文字

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 午前十一時。代官山のカフェで、日向はノートパソコンを開いた。
 二作目のテーマを決めるために、磯川と待ち合わせをしていた。
 待ち合わせの時間は十一時半だが、調べたいことがあり日向は早めに店に入った。
 日向は検索エンジンに、目的のワードを打ち込んだ。
 毎週月曜日は、「与那国屋(よなぐにや)書店」の週間ランキングが発表される。
 発売十日目の『阿鼻叫喚』は、ランキング対象になっていた。
 日向は時間の許すかぎり都内の大型書店を回り、売れ行きをチェックした。
「日文社」の営業力のおかげで、『阿鼻叫喚』は主要な書店のほとんどに平積みされていた。
 大手出版社はベストセラーになった書籍の点数も多いので、書店にとっては大切なお客様だ。
 その関係性は、芸能プロダクションとテレビ局に似ている。
 売れているタレントを数多く抱えている大手プロダクションにたいして、テレビ局は頭が上がらない。
 視聴率の取れる俳優をドラマにキャスティングするためだ。
 立場の強い大手プロダクションは、数字の読める俳優をドラマに出演させる代わりに、同じ事務所の無名の俳優の出演を取り付ける……いわゆるバーターと呼ばれる交換条件だ。
 視聴率の取れる俳優イコール売り上げが見込める作家、同じ事務所の無名の俳優イコール同じ出版社の無名の作家――新人の日向の小説が、大型書店に平積みされている理由だ。
 だが、売れなければ二度目はない。
 売り場でいい扱いを受けるのは「日文社」の力でも、売れるかどうかは小説の力だ。
 その意味で、初速の売り上げは重要だ。
 日向はアイスコーヒーで喉(のど)を潤(うるお)し、眼(め)を閉じた。
 心を落ち着け、眼を開けた。
 
 1位『下町ブルジョア娘』名倉さゆり(日文社)
 2位『堕天狼』風間玲(新冬舎)
 3位『無双検事』東郷真一(文芸夏秋)
 4位『ちらりひらり』朝丘美織(大潮社)
 
 ランキング上位には、日向の予想通りのベストセラー作家が名を連ねていた。
 どの書店でも、一番いい場所の平積み台を独占している四人だ。
 日向は無意識に奥歯を嚙(か)み締め、拳を握り締めていた。
 カーソルをスクロールした。
 ベスト10に『阿鼻叫喚』はランクインしていなかった。
 嚙み締めた奥歯が、ギリギリと鳴った。
 いまの日向が『阿鼻叫喚』の登場人物なら、悔しさに五臓六腑(ごぞうろっぷ)が煮え滾(たぎ)り、全身を駆け巡る血液が沸騰した、という描写になるだろう。
「頼む……頼む……」
 日向は祈りながらカーソルをスクロールした。
 せめて二十位以内には入っていてほしかった。
「噓(うそ)!」
 思わず出た日向の声に、隣のテーブルでスポーツ新聞を開いていた初老の男性が怪訝(けげん)な顔を向けた。
 日向は会釈し、ディスプレイに視線を戻した。
 日向の願いも通じず、二十位までに日向誠の名前はなかった。
「こんなもんか」
 日向はやけくそ気味にマウスをタップした。
 二十一位、二十二位、二十三位、二十四位、二十五位、二十六位、二十七位……日向はマウスから人差し指を外した。
 
 28位『阿鼻叫喚』日向誠(日文社)

「二十八位か……」
 日向はため息交じりに呟(つぶや)いた。
「ため息を吐くと幸せが逃げるって、誰が言い始めたんでしょうね?」
 日向はパソコンから視線を離して顔を上げた。 
 柔和な笑みを浮かべた磯川がそう言いながら、日向の正面の席に座った。
「僕も同じのをお願いします。お疲れ様です。早めにきたつもりですけど、お待たせしてすみません」
 磯川がスタッフにアイスコーヒーを注文すると、日向に頭を下げた。
「あ、俺が早過ぎたんです。まだ、十五分前ですから」
「さっきの続きですけど、ため息はバランスが崩れた自律神経の働きを回復させようとする体の作用で、機能回復のためのリカバリーショットなので、むしろいい行為らしいですよ。どこかの大学病院の教授の説です」
「そうなんですか。初めて知りました。編集者もいろんなことにアンテナを張り巡らせなければならないのは、作家と同じですね」
「いえ、たまたまつけていたテレビで、なんとか教授が言っていたのを耳にしただけです。それに、僕のアンテナは興味のあることにしか反応しないので。教授の名前も思い出せないくらいだから、興味のないテーマということですね」
 磯川が口元を綻(ほころ)ばせた。
「ところで、険しい顔をしていましたけど、芸能プロでトラブルでもあったんですか?」
 磯川は訊(たず)ねると、運ばれてきたアイスコーヒーをストローで吸い上げた。
「いや、これを見ていたんです」
 日向はノートパソコンのディスプレイを磯川に向けた。
「あ、『与那国屋書店』の週間ランキングですね。二十八位、凄(すご)いじゃないですか!」
 磯川が声を弾ませた。
「えっ、凄くないですよ。二十八位ですよ?」
 日向は即座に否定した。
「はい。二十八位はいい数字ですよ」
 磯川が頷(うなず)きながら言った。
「でも、同じ日文社から出ている名倉(なぐら)さんの『下町ブルジョア娘』は一位だし、風間(かざま)さんと東郷(とうごう)さんは二位、三位です。二十八位なんて、全然凄くないですよ!」
 日向は強い口調で否定した。
 磯川にからかわれている気がして、日向はムッとした。
「日向さんの原動力はその負けん気です。ですが、気落ちする必要はありません。ボクシングのデビュー戦で、世界チャンピオンに負けるのはあたりまえですからね」
 日向とは対照的に、磯川が穏やかな口調で言った。
 それが、日向のイライラに拍車をかけた。
「俺はデビュー戦でも、チャンピオンを倒したいんですよ!」
 熱(いき)り立つ日向を、磯川は愉快そうに見ていた。
「俺、そんなにおかしいことを言いましたか!?」
 日向は八つ当たり気味に言った。
「すみません。こんなにハングリー精神に溢(あふ)れている人を見たのは初めてなので。僕とはまったく正反対のタイプですけど、嫌いじゃありませんよ」
 磯川は相変わらずおかしそうに笑っていた。
 不思議と、馬鹿にされている気はしなかった。
 そもそも、いら立っているのは磯川が原因ではなく、二十八位という順位にたいしてだ。
「改めて言いますけど、デビュー十日目で二十八位は胸を張ってもいい順位です」
「磯川さんも頑固な男……」
「最後まで聞いてから、僕が頑固な男かどうかを判断してください」
 磯川が、それまでと一転して抑揚のない口調で言った。
「たしかにボクシングであれば、体力とセンスが天才的ならデビュー戦で世界チャンピオンを倒せるかもしれません。ですが、世界チャンピオンと戦うには同じリングに立つことが前提条件になります。現実には、新人がデビュー戦で世界チャンピオンに挑戦するのは不可能です。四回戦、六回戦、八回戦と勝ち進み日本ランカーになり、さらに勝ち進み日本チャンピオンになり、東洋チャンピオンになり、世界ランカーになり、ランキングが一桁になったところでようやく世界タイトル戦の挑戦権を得られるという流れです」
「作家がデビュー作で一位になるのに、ボクシングみたいに順序を踏む必要はないですよね?」
 日向は疑問を口にした。
「ランキングの問題はありませんけれど、代わりに出版部数の壁があります」
 磯川がそう言いながら、鞄(かばん)からタブレットを取り出した。
「出版部数の壁?」
 日向は磯川の言葉を鸚鵡(おうむ)返しにした。
「これを見てください」
 磯川がタブレットを日向の前に置いた。
 ディスプレイには、『下町ブルジョア娘』、『堕天狼』、『無双検事』、『阿鼻叫喚』のタイトルと著者名が表示されていた。

(次回につづく)

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