第55話 大東に、あるところから届くファンレターを見せると――
文字数 3,036文字
☆
「なんだ? 生きてたのか?」
青山の「エルミタージュ」のドアが開いた瞬間、大東(だいとう)が憎まれ口を飛ばしてきた。
「二ヶ月に一回ペースで、小説が出版されてるだろ?」
日向は言いながら、カウンターの最奥のスツールに座った。
「エルミタージュ」にきたのは、半年ぶりだった。
十本の連載小説、単行本、文庫本の刊行前のゲラチェック、取材、打ち合わせに追われ、息抜きに飲みに出かける時間も取れなかった。
「自惚(うぬぼ)れるな。いちいち、お前の新刊をチェックなんかしてねえし」
大東は言いながら、国産の瓶ビールとグラスをカウンターに置いた。
「今日、初めてサイン会ってやつをやったんだけど、案外、いいもんだな。普段は見えない読者と触れ合うことなんて滅多にないし」
日向は言うと、グラスに注いだビールを一息に飲んだ。
「お前の恋愛小説を読んだ読者は、びっくりしただろうな。『願い雪』書いてる人って、こんなヤクザみたいな人だったの、ってな」
大東がニヤニヤした。
「お前な、久々に店に顔を出した旧友に、もっとほかに言うことあるだろ? こんな閑古鳥(かんこどり)が鳴いている店にきてくれる、貴重なお客様なんだから」
日向は皮肉を口にして、ブリーフケースから郵便物の束を取り出した。
執筆部屋兼個人事務所として借りている代官山(だいかんやま)の事務所から、まとめて持ってきたものだ。
締め切りに追われ、郵便物は溜まる一方だった。
「はいはい、安い国産ビールしか飲まないお客様のおかげで、なんとか営業を続けることができてますよ。ほら、サービスだ。山形の知り合いから大量に届いて、食いきれないからな」
大東が皮肉を返し、日向の前にだだ茶豆が入った皿を置いた。
「お! 俺の大好物だ。サンキュー!」
日向は大東に礼を言い、「大間(おおま)出版」からの書類封筒の封を切った。
中には、十通の封筒が入っていた。
すべて、転送されたファンレターだった。
刃物や脅迫文が入っていないかをチェックするために、担当者編集者によって封が切られていた。
初めてお便りします。
私、和田孝二(わだこうじ)と言います。
日向先生の小説のファンです。
とくに、『阿鼻叫喚』『ひとでなし』『メシア』が大好きです。
私は、十八の頃に人を殺(あや)めました。
夜に公園で友人四人と酒を飲んでるところに、部活帰りの女子高生が通りかかりました。
私達は酒の勢いもあり、女子高生を犯そうとして押し倒しました。
女子高生が激しく抵抗したので、私達は激しく殴りつけました。
そのうちぐったりとなり、女子高生は抵抗しなくなりました。
私達は、女子高生を何度も、何度も犯しました。
女子高生は虫の息で、助けて、と繰り返していました。
欲望を満たした後、私はあることに気づきました。
私達は、顔を隠していなかったのです。
警察に駆け込まれたら捕まってしまう。
私は恐怖に囚(とら)われ、パニックになりました。
気づいたときにはライターオイルを女子高生にかけて、火を放っていました。
もう十五年以上も昔の話ですが、昨日のことのように鮮明に覚えています。
焼かれるときの女子高生の叫び声は、毎晩のように耳に蘇(よみがえ)ります。
日向先生、私の愚かな過ちを小説にしていただけないでしょうか?
日向先生のような高名な作家さんの物語の主人公になることができれば、彼女の魂も浮かばれます。
どうか、僕の願いを
日向は、読みかけの手紙を無言で大東に渡した。
日向は二通目の封を切った。
分厚い便箋……十枚はありそうだった。
はじめまして。
私は岡山に住む三十七歳のOLです。
日向先生の黒作品はほとんど読んでいます。
一番好きな作品は『悪の微笑』で、一番嫌いな作品は『脱獄地獄』です。
『脱獄地獄』の主人公の早宮(はやみや)は、連続殺人の濡れ衣を着せられ死刑判決を受けて服役中でしたが、看守の隙をついて脱獄しました。
日本全国を逃亡しながら、濡れ衣を晴らしていくというお話でした。
日向先生に質問があります。
「おいおい、これ、リアルな死刑囚からの手紙か?」
「東京拘置所」から送られた手紙を読んでいた大東が、顔を顰(しか)めた。
「そうみたいだな」
「どうするんだ? このレイプ殺人事件、書くのか?」
「書かないよ」
日向は、にべもなく答えた。
「なんで? この事件、俺も覚えてるけど、当時は毎日のようにワイドショーに取り上げられてたよな? 主犯格からの申し出で実話を小説にしたら、話題になるんじゃないのか?」
「俺はそうは思わないな。実話をベースにした小説は、あくまで実話を超えられない。小説っていうのはフィクションだから、自由気ままに物語を書くことで魅力が出るものだ。事実に縛られたら、それはもはや小説ではなくてドキュメントさ」
日向は言いながら、手紙に視線を戻した。
物語で早宮は、勤務していたキャバクラの店長から、女性と女性の同僚のキャバ嬢を殺した濡れ衣を着せられたとなっていますが、その根拠はなんでしょうか?
あ、理由は書いてありましたね。
閉店後のキャバクラで店長、店長と交際していた女性、その同僚のキャバ嬢、早宮が酒を飲んでいた。
早宮と同僚のキャバ嬢は早々と酔い潰(つぶ)れた。
二人で飲んでいた店長と彼女は、些細なことで口論を始めた。
酔いの勢いもあり、彼女は日頃の不満を一気に爆発させ、店長を口汚く罵(ののし)り始めた。
泥酔していた店長は逆上し、彼女を果物ナイフで刺してしまった。
寝ていたと思っていた同僚のキャバ嬢は喧嘩(けんか)の声で眼を覚ましており、殺害現場を目撃してしまった。
店長は悲鳴を上げる同僚のキャバ嬢を口封じのために果物ナイフで殺害し、柄に付着した指紋を拭き取り、酔い潰れていた早宮に握らせて店をあとにした。
目覚めたときには、早宮は警察に取り囲まれていて現行犯逮捕された。
もう一度質問します。
二人のキャバ嬢を殺したのが店長だと、日向先生は断言できますか?
日向先生は現場を目撃したわけじゃなく、店長が殺害したと思い込んで描写しただけですよね?
つまり、日向先生の思い込みかもしれなくて、本当は早宮が二人を殺害したのかもしれませんよね?
なぜ、私がそういうふうに思ったかには理由があります。
実は、先週、逃走中の早宮が私の家に乗り込んできたのです。
「世間の馬鹿どもは濡れ衣を着せられた俺に同情しているが、本当は俺が殺したんだよ」
早宮は悪びれたふうもなく、そう言いました。
早宮は私をレイプし、箪笥(たんす)貯金の五十万を奪い逃走しました。
日向先生。
あなたの思い込みで私がレイプされたことも箪笥貯金を奪われたことも、水に流します。
その代わり、お願いがあります。『新・脱獄地獄』を、私の話した真実をベースに執筆してください。
私の実名を出しても構いませんし、レイプされたことを書いても構いません。
なので、今度は早宮の裏の顔をきちんと書いてください。
取材協力は無償でさせていただきますし、印税も頂きません。
ただし、監修させてください。
私が目立ちたいのではなく、真実を。
(次回につづく)
「なんだ? 生きてたのか?」
青山の「エルミタージュ」のドアが開いた瞬間、大東(だいとう)が憎まれ口を飛ばしてきた。
「二ヶ月に一回ペースで、小説が出版されてるだろ?」
日向は言いながら、カウンターの最奥のスツールに座った。
「エルミタージュ」にきたのは、半年ぶりだった。
十本の連載小説、単行本、文庫本の刊行前のゲラチェック、取材、打ち合わせに追われ、息抜きに飲みに出かける時間も取れなかった。
「自惚(うぬぼ)れるな。いちいち、お前の新刊をチェックなんかしてねえし」
大東は言いながら、国産の瓶ビールとグラスをカウンターに置いた。
「今日、初めてサイン会ってやつをやったんだけど、案外、いいもんだな。普段は見えない読者と触れ合うことなんて滅多にないし」
日向は言うと、グラスに注いだビールを一息に飲んだ。
「お前の恋愛小説を読んだ読者は、びっくりしただろうな。『願い雪』書いてる人って、こんなヤクザみたいな人だったの、ってな」
大東がニヤニヤした。
「お前な、久々に店に顔を出した旧友に、もっとほかに言うことあるだろ? こんな閑古鳥(かんこどり)が鳴いている店にきてくれる、貴重なお客様なんだから」
日向は皮肉を口にして、ブリーフケースから郵便物の束を取り出した。
執筆部屋兼個人事務所として借りている代官山(だいかんやま)の事務所から、まとめて持ってきたものだ。
締め切りに追われ、郵便物は溜まる一方だった。
「はいはい、安い国産ビールしか飲まないお客様のおかげで、なんとか営業を続けることができてますよ。ほら、サービスだ。山形の知り合いから大量に届いて、食いきれないからな」
大東が皮肉を返し、日向の前にだだ茶豆が入った皿を置いた。
「お! 俺の大好物だ。サンキュー!」
日向は大東に礼を言い、「大間(おおま)出版」からの書類封筒の封を切った。
中には、十通の封筒が入っていた。
すべて、転送されたファンレターだった。
刃物や脅迫文が入っていないかをチェックするために、担当者編集者によって封が切られていた。
初めてお便りします。
私、和田孝二(わだこうじ)と言います。
日向先生の小説のファンです。
とくに、『阿鼻叫喚』『ひとでなし』『メシア』が大好きです。
私は、十八の頃に人を殺(あや)めました。
夜に公園で友人四人と酒を飲んでるところに、部活帰りの女子高生が通りかかりました。
私達は酒の勢いもあり、女子高生を犯そうとして押し倒しました。
女子高生が激しく抵抗したので、私達は激しく殴りつけました。
そのうちぐったりとなり、女子高生は抵抗しなくなりました。
私達は、女子高生を何度も、何度も犯しました。
女子高生は虫の息で、助けて、と繰り返していました。
欲望を満たした後、私はあることに気づきました。
私達は、顔を隠していなかったのです。
警察に駆け込まれたら捕まってしまう。
私は恐怖に囚(とら)われ、パニックになりました。
気づいたときにはライターオイルを女子高生にかけて、火を放っていました。
もう十五年以上も昔の話ですが、昨日のことのように鮮明に覚えています。
焼かれるときの女子高生の叫び声は、毎晩のように耳に蘇(よみがえ)ります。
日向先生、私の愚かな過ちを小説にしていただけないでしょうか?
日向先生のような高名な作家さんの物語の主人公になることができれば、彼女の魂も浮かばれます。
どうか、僕の願いを
日向は、読みかけの手紙を無言で大東に渡した。
日向は二通目の封を切った。
分厚い便箋……十枚はありそうだった。
はじめまして。
私は岡山に住む三十七歳のOLです。
日向先生の黒作品はほとんど読んでいます。
一番好きな作品は『悪の微笑』で、一番嫌いな作品は『脱獄地獄』です。
『脱獄地獄』の主人公の早宮(はやみや)は、連続殺人の濡れ衣を着せられ死刑判決を受けて服役中でしたが、看守の隙をついて脱獄しました。
日本全国を逃亡しながら、濡れ衣を晴らしていくというお話でした。
日向先生に質問があります。
「おいおい、これ、リアルな死刑囚からの手紙か?」
「東京拘置所」から送られた手紙を読んでいた大東が、顔を顰(しか)めた。
「そうみたいだな」
「どうするんだ? このレイプ殺人事件、書くのか?」
「書かないよ」
日向は、にべもなく答えた。
「なんで? この事件、俺も覚えてるけど、当時は毎日のようにワイドショーに取り上げられてたよな? 主犯格からの申し出で実話を小説にしたら、話題になるんじゃないのか?」
「俺はそうは思わないな。実話をベースにした小説は、あくまで実話を超えられない。小説っていうのはフィクションだから、自由気ままに物語を書くことで魅力が出るものだ。事実に縛られたら、それはもはや小説ではなくてドキュメントさ」
日向は言いながら、手紙に視線を戻した。
物語で早宮は、勤務していたキャバクラの店長から、女性と女性の同僚のキャバ嬢を殺した濡れ衣を着せられたとなっていますが、その根拠はなんでしょうか?
あ、理由は書いてありましたね。
閉店後のキャバクラで店長、店長と交際していた女性、その同僚のキャバ嬢、早宮が酒を飲んでいた。
早宮と同僚のキャバ嬢は早々と酔い潰(つぶ)れた。
二人で飲んでいた店長と彼女は、些細なことで口論を始めた。
酔いの勢いもあり、彼女は日頃の不満を一気に爆発させ、店長を口汚く罵(ののし)り始めた。
泥酔していた店長は逆上し、彼女を果物ナイフで刺してしまった。
寝ていたと思っていた同僚のキャバ嬢は喧嘩(けんか)の声で眼を覚ましており、殺害現場を目撃してしまった。
店長は悲鳴を上げる同僚のキャバ嬢を口封じのために果物ナイフで殺害し、柄に付着した指紋を拭き取り、酔い潰れていた早宮に握らせて店をあとにした。
目覚めたときには、早宮は警察に取り囲まれていて現行犯逮捕された。
もう一度質問します。
二人のキャバ嬢を殺したのが店長だと、日向先生は断言できますか?
日向先生は現場を目撃したわけじゃなく、店長が殺害したと思い込んで描写しただけですよね?
つまり、日向先生の思い込みかもしれなくて、本当は早宮が二人を殺害したのかもしれませんよね?
なぜ、私がそういうふうに思ったかには理由があります。
実は、先週、逃走中の早宮が私の家に乗り込んできたのです。
「世間の馬鹿どもは濡れ衣を着せられた俺に同情しているが、本当は俺が殺したんだよ」
早宮は悪びれたふうもなく、そう言いました。
早宮は私をレイプし、箪笥(たんす)貯金の五十万を奪い逃走しました。
日向先生。
あなたの思い込みで私がレイプされたことも箪笥貯金を奪われたことも、水に流します。
その代わり、お願いがあります。『新・脱獄地獄』を、私の話した真実をベースに執筆してください。
私の実名を出しても構いませんし、レイプされたことを書いても構いません。
なので、今度は早宮の裏の顔をきちんと書いてください。
取材協力は無償でさせていただきますし、印税も頂きません。
ただし、監修させてください。
私が目立ちたいのではなく、真実を。
(次回につづく)