第26話 初めて日文社以外の出版社から新刊を出し、売れ行きが気になるが

文字数 2,293文字

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 新宿の「与那国屋書店」本店に平積みにされた『無間煉獄(むげんれんごく)』を、日向は感慨深い思いでみつめた。
「一、二、三、四……」
 日向は平台に並ぶ自著の面数を数え始めた。
「恥ずかしかね~。一応ベストセラー作家なら、そぎゃん幼稚なことばせんほうがよかばい」
 呼びもしないのに勝手についてきた椛(もみじ)が、呆(あき)れたように言った。
「うるさいな。数がわからなくなっただろ。一、二、三……」
 日向は椛を睨み、『無間煉獄』を数え直した。
「高校中退だけん計算もできんとばいね~」
 椛が得意の憎まれ口を叩(たた)いた。
「三十面!」
 日向は大声を上げた。
「三十面は凄(すご)いですよ。デビュー四作目で最高記録ですね」
 椛の隣に立っている磯川が微笑(ほほえ)んだ。
「ついでに風間玲さんの『一等星』、東郷真一さんの『孤高の鷹』、名倉さゆりさんの『下町人情モンスター』は二十面! この三人の面数を初めて抜いた!」
 日向は興奮気味に言った。
「まさか、ほかの人の本の面数も数えたとね!? ほんとに、精神年齢が十歳くらいじゃなかと!?」
 椛が大袈裟に驚いてみせながら言った。
「まあまあ、いいじゃないですか。四作目で『与那国屋書店』本店の一番目立つ場所に三十面も並ぶというのは、大変なことですよ。しかも、日向さんの『無間煉獄』は発売二週間で十五万部を超え、ベストセラーランキングで初めて一位を取ったんですからね」
 磯川が椛に、諭すように言った。
 磯川の言う通り、『無間煉獄』は「与那国屋書店」のベストセラーランキングで風間玲、東郷真一、名倉さゆりの同時期発売の新刊を押さえて初の一位に輝いた。
 この二年で、日向はほかにも様々な〝初めて〟を経験した。
 デビュー四作目で「日文社」以外の出版社での刊行、情報バラエティ番組の準レギュラー、新居への引っ越し、そして……。
 日向誠の名が広まるに連れ、環境が大きく変わった。
 
 ――ドラマとかでよくある、好きだからこそ別れるとか、好きなら別れなきゃいいじゃん、って思ってたけど、いまはその気持ちがわかるような気がするわ。

 一年前の真樹の声が、日向の脳裏に蘇った。

 ――そうするしか、方法はないのかな?

 無意味な問いかけ……本当は、わかっていた。
 真樹にその決断をさせたのが日向だということを……。

 ――それは、あなたが一番わかっていることでしょう? いままでいろんなわがままを言ってきたけど、最後に特大のわがままを聞いてね。

 記憶の中の真樹の泣き笑いに、日向の胸は痛んだ。
 日向のデビュー作『阿鼻叫喚』の過激な文章のせいで、真樹は親や親戚から責められていた。
 追い打ちをかけるように二作目の『フィクサー貴族』は、主要登場人物がグレート・デンにレイプされるという衝撃的なシーンがあり、三作目の『ひとでなし』は登場人物全員がジャンキーと変質者という、親から真樹への風当たりはさらに強いものとなった。
 真樹はつらい立場に置かれていることは言わずに、もう少し物語をソフトにしてほしいとだけ日向に頼んできた。
 真樹が個人的に、日向の文章を嫌っているとばかり思っていた。
 親と夫の間で板挟みになっている妻を、察してあげることができなかった。
 だが、真樹がその決断をしたのは親が原因ではなかった。

 ――誠は、もう、私がいなくても平気よ。皮肉とかじゃなくて、これは本音。だって、十代の頃に出会った誠は、危なっかしくて私がコントロールしなければ暴走しそうで心配だったけど、いまはしっかり物事を見極められるようになったしね。

「そうだ。『無間煉獄』は、この瞬間、日本で一番売れてる小説だ。つまり、この瞬間、俺は日本一売れてる作家ということだ。特別に、サインしてやろうか?」
 日向は悲痛な記憶を打ち消すように、椛に軽口を叩いた。
「あー、もう、つき合っとられん。磯川さんも、あんまり甘やかさんほうがよかですよ。す~ぐ、図に乗りますけん」
 椛が肩を竦(すく)めた。
「これだけ売れれば、少々図に乗ってもいいと思います」
 磯川が笑いながら切り返した。
「でも、この小説は磯川さんとこじゃなくて別の出版社でしょ? 売れても嬉(うれ)しくなかでしょ?」
 椛が怪訝(けげん)そうに訊(たず)ねた。
 椛の言う通り、『無間煉獄』は磯川の勤務する「日文社」ではなく「美冬舎(みふゆしゃ)」から刊行されていた。
「嬉しいですよ。僕がデビューの頃から担当してきた日向さんが、ベストセラー作家になってくれたんですから」
 磯川が眼(め)を細め、平台を占拠する『無間煉獄』をみつめた。
「よその出版社での成功ば喜んでくれて、磯川さんは心が広かね~。社長も少しは見習ったほうがよかばい」
 椛が日向の肩を叩きながら言った。
「お前、勝手についてきて、どこから目線で言ってるんだよ?」
 日向は小さく首を横に振り、呆れた口調で言った。
「椛さんは、社長のことが大ば好きなんですね」
 磯川の目尻が柔和に下がった。
「へ、変なことば言わんでください! こぎゃんガングロ金髪の変態社長ば好きなわけなかでしょ!?」
 椛がムキになって否定した。
「じゃあ、そういうことにしておきましょう。ところで、日向さん。ここは僕じゃなくて『美冬舎』の編集者を連れてきたほうがよかったんじゃないですか? 今回、僕は部外者ですから」
 磯川が椛から日向に顔を向け、遠慮がちに言った。

(次回につづく)

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