〈7月24日〉 額賀澪

文字数 2,758文字

ラン・オン・ライン


「これでもさあ、(わる)かったと(おも)ってるんだよ」
 スターティングブロックに(あし)()いた瞬間(しゅんかん)謝罪(しゃざい)してきた舞弓(まゆみ)先生(せんせい)に、(おも)わず「え、いまっ?」と(ぼく)(かお)()げた。
「三年間(ねんかん)(がん)()った勇二(ゆうじ)のいい(おも)()になるように、ぱーっと全国(ぜんこく)中学生(ちゅうがくせい)とオンライン競技(きょうぎ)(かい)ができたら……なんて(おも)ったんだよ」
 それが、世界(せかい)()()んだ大事(おおごと)になってしまうなんて。舞弓(まゆみ)先生(せんせい)眉間(みけん)には、(しわ)一緒(いっしょ)にそんな本音(ほんね)(きざ)まれている。
 (ぼく)中学(ちゅうがく)最後(さいご)大会(たいかい)中止(ちゅうし
)
になると()まってすぐ、先生(せんせい)はフォロワーが数人(すうにん)しかいないSNS(エスエヌエス)に「オンライン競技(きょうぎ)(かい)をやろう!」と()()んだ。どういうわけか、それを五輪(ごりん)にも出場(しゅつじょう)した有名(ゆうめい)陸上(りくじょう)選手(せんしゅ)拡散(かくさん)してしまった。(おも)いつきは世界(せかい)(じゅう)(ひろ)まり、いろんな(くに)選手(せんしゅ)()()んだ(だい)イベントになってしまった。ド田舎(いなか)の、部員(ぶいん)一人(ひとり)しかいない陸上(りくじょう)()には()(おも)すぎる。今日(きょう)(むか)えるまで、(ぼく)舞弓(まゆみ)先生(せんせい)がどれだけ苦労(くろう)したか。競技(きょうぎ)(かい)のルールを()めるため、ホノルルに()らすビルと、ブリュッセルのクリスとZoom(ズーム)会議(かいぎ)するのは(じゅう)労働(ろうどう)だった。舞弓(まゆみ)先生(せんせい)英語(えいご)(まった)(つう)じず、「(おれ)日本(にほん)()(しゃべ)れるぜ」と()()るビルとは、ポケモンの名前(なまえ)でしかコミュニケーションできなかった。
先生(せんせい)、そろそろ時間(じかん)じゃないかな」
 日本(にほん)午後(ごご)()。ホノルルは(よる)()。ベルギーは(あさ)()(かれ)らだけじゃない。日本(にっぽん)(いた)るところで、世界(せかい)(いた)るところで、(どう)世代(せだい)()(たち)一斉(いっせい)に100m(メートル)(はし)ってタイムを(きそ)う。
 (ぼく)記録(きろく)散々(さんざん)だろう。中学(ちゅうがく)最後(さいご)大会(たいかい)自己(じこ)ベストを更新(こうしん)できたらいいや、くらいのつもりだった。競技(きょうぎ)だって引退(いんたい)するつもりだった。全国(ぜんこく)大会(たいかい)常連(じょうれん)や、世界(せかい)()()えて(はし)っている()(くら)べたら、レベルが(ひく)すぎる。
準備(じゅんび)はいい?」
 舞弓(まゆみ)先生(せんせい)(こえ)(こわ)ばっていた。アスリートの(たまご)(たち)のお(まつ)りに凡人(ぼんじん)(ぼく)(ほう)()んだことを、(もう)(わけ)ないと(おも)っているのだろうか。
 舞弓(まゆみ)先生(せんせい)がスターターピストルを(かま)える。(かわ)いたグラウンドに()かれた白線(はくせん)(にら)みつけた。()(した)しんだ(つち)(にお)いの()こうに、(いま)この瞬間(しゅんかん)(おな)じようにゴールを()()えるたくさんの(どう)世代(せだい)選手(せんしゅ)がいる。
 ピストルが()る。スタートはいい()()しだった。練習(れんしゅう)できない期間(きかん)(なが)かったのに(からだ)(かる)い。スピードに()り、三年間(ねんかん)たった一人(ひとり)(はし)(つづ)けた100m(メートル)のコースを()(すす)む。わかっている。(ぼく)のタイムは、競技(きょうぎ)(かい)参加(さんか)した(ぜん)選手(せんしゅ)(なか)でビリかもしれないって。
 でも(たし)かに(いま)世界(せかい)(じゅう)選手(せんしゅ)一緒(いっしょ)(はし)っている。それは、(わる)気分(きぶん)ではなかった。


額賀澪(ぬかが・みお)
1990(ねん)()まれ。茨城(いばらき)(けん)出身(しゅっしん)日本(にほん)大学(だいがく)藝術(げいじゅつ)学部(がくぶ)文芸(ぶんげい)学科(がっか)(そつ)。2015(ねん)に『屋上(おくじょう)のウインドノーツ』(「ウインドノーツ」を改題(かいだい))で(だい)22(かい)松本(まつもと)清張(せいちょう)(しょう)を、『ヒトリコ』で(だい)16(かい)小学館(しょうがくかん)文庫(ぶんこ)小説(しょうせつ)(しょう)受賞(じゅしょう)しデビュー。2016(ねん)、『タスキメシ』が(だい)62(かい)青少年(せいしょうねん)読書(どくしょ)感想(かんそう)(ぶん)全国(ぜんこく)コンクール高等(こうとう)学校(がっこう)部門(ぶもん)課題(かだい)図書(としょ)に。その()既刊(きかん)に『さよならクリームソーダ』『(かぜ)()う』『(かん)パケ!』などがある。最新作(さいしんさく)は『できない(おとこ)』。

近刊(きんかん)

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