夏のぬけがら
いつまでもつづくとおもっていた
蝉()時雨()が
終()わったあと、わたしはおとうとと
虫()とりあみをかついで、
緑()の
竹林()のあいだをふわふわとおよぐ
夏()のぬけがらをつかまえにいった。
その
日()のあさ、わたしはいつものようにおとうとの
頭()を
水()でぬらしてねぐせをとってやり、
昼()ごはんのそうめんをのどのおくにすべらせるようにおなかにおさめてサンダルをはくと、おとうとといっしょに
家()の
前()にひろがっている
水()のはられた
田()んぼのあぜ
道()をとおって、
神社()の
境内()の
近道()をぬけて
石橋()をわたり
山()をのぼった。しめった
土()のうえでひやされた
落()ち
葉()や
木()の
皮()やロウソクや
花火()の
燃()えかすには
夏()がしみこんでいて、ふんずけるとそこからじわりとしみだしたものに
足()をとられそうになる。
墓地()の
裏()にある
竹林()にちかづくにつれて、わたしたちは
足音()をたてないように
猫()みたいなつまさき
歩()きになって、
虫()とりあみを
両手()でかまえる。
入道()雲()が
強()すぎる
日差()しをさえぎり、
竹林()をぬりつぶすようにひろがった
影()のなかで、ふっと
夏()のぬけがらがあらわれる。
それはうすい
色()がついたゼリーみたいにすきとおっていて、ひとつひとつが、くらげみたいにひざのあたりの
高()さでただよっている。おとうとがそれを
虫()とりあみでつかまえるが、すぐに
消()えてしまう。むちゅうになってあみをふりまわすようすを
見()ていると、どこからともなくまた
蝉()のなきごえが
響()いてきてあたりがまっくらになった。
どのくらいたっただろう。
いつまでもつづくとおもっていたくらやみの
中()で、だれかがわたしの
頭()につめたい
水()をかけた。
蝉()のこえがやんで、あたりがあかるくなってどこからともなくお
線香()とお
供()え
物()のあまいにおいがただよってくる。
目()をあけると、
白髪()のおじいさんがわたしにむかって
手()を
合()わせている。
横()にいる
孫()らしき
小()さな
子供()が、おじいちゃんのあたまに
手()を
伸()ばして、ねぐせをいっしょうけんめいになおしていたかとおもうと、びっくりしたかおでわたしをみて、そばにあった
虫()とりあみを
手()にする。
つぎのしゅんかん、わたしは
夏()のぬけがらのひとつになっていて、
小()さなこどもにつかまえられて
消()えた。
海猫沢めろん(うみねこざわ・めろん)
1975
年()、
大阪()府()生()まれ、
兵庫()県()育()ち。
高校()卒業()後()、デザイナーやホストなどを
経験()し、
文筆()業()に。『キッズファイヤー・ドットコム』で
第()59
回()熊日()文学()賞()受賞()。
著書()に
小説()『
左()巻()キ
式()ラストリゾート』『
全滅()脳()フューチャー
!!!』『ニコニコ
時給()800
円()』『
愛()についての
感()じ』『
夏()の
方舟()』、エッセイ『もういない
君()と
話()したかった7つのこと
孤独()と
自由()のレッスン』『
明日()、
機械()がヒトになる ルポ
最新()科学()』『パパいや、めろん』など
【
近刊()】