〈7月30日〉 小林深雪

文字数 2,709文字

ライラックの箱舟(はこぶね)


「やったあ!」
 (こころ)(なか)でそう(さけ)んでいた。三(がつ)(あたま)突然(とつぜん)学校(がっこう)(きゅう)(こう)になった。成績(せいせき)(ひょう)もないまま、春休(はるやす)みがうんと(なが)くなるなんて、最高(さいこう)。そう(おも)っていた。最初(さいしょ)は……。
 四(がつ)、わたしは六年生(ねんせい)になった。でも、()(ぎょう)(しき)()りやめになり、クラス()えも(あたら)しい担任(たんにん)先生(せんせい)(しょう)学校(がっこう)のホームページで()っただけ。パパも会社(かいしゃ)()かなくなって、リビングが(きゅう)にパパのオフィスになった。()(ごと)(ちゅう)は、「リラ、(しず)かにして!」と(ちゅう)()されてばかり。そこで、(いえ)(ちい)さい(にわ)にキャンプ(よう)紺色(こんいろ)のテントを()してもらった。(いま)やこのテントは、わたしのお()()りの()(みつ)基地(きち)だ。()きなものをなんでも()ちこむ。
 五(がつ)になっても学校(がっこう)(はじ)まらなかった。(じゅく)(なら)いごともテーマパークも水族館(すいぞくかん)もお(やす)み。静岡(しずおか)のおばあちゃんの(いえ)にも()けない。(きゅう)()(かい)(ちい)さくなってしまったみたい。
 この(さき)、どうなるの? 来年(らいねん)(ちゅう)(がく)受験(じゅけん)は? 
 ()(あん)になった(とき)は、(にわ)()る。芝生(しばふ)青々(あおあお)としてビロードみたいだ。木々(きぎ)(かぜ)にさわさわとゆれ、()もれ()()(あわ)くゆらめいて、(ちい)さい(うす)(むらさき)のライラックの(はな)()(はじ)めている。ライラックはフランス()でリラ。わたしの()(まえ)()(らい)(はな)だ。(しん)()(きゅう)して、(あま)(かお)りを(むね)いっぱいに()いこんでから、テントに(はい)って(あか)いブランケットにくるまる。今日(きょう)はバスケットにポットに()れた(あつ)紅茶(こうちゃ)とビスケット、くまのぬいぐるみと『(あか)()のアン』を()れて()ってきた。
 (ほん)()(ちゅう)になっていると、いつのまにか(ほそ)(ぎん)(あめ)()()した。(あめ)(かぜ)は、だんだんと(つよ)くなってきて、テントの()(ぐち)をしっかりと()じる。わたしは、ふと『ノアの箱舟(はこぶね)』の(はなし)(おも)()す。神様(かみさま)がどんなにひどい(あめ)(かぜ)、ましてやウイルスをまき()らそうが、ここなら安心(あんしん)。だって、ここは、「ライラックの箱舟(はこぶね)」だから。
 アンは、()れたランプのかけらを「妖精(ようせい)(かがみ)」、平凡(へいぼん)なくぼ()を「スミレの(たに)」と()づけた。想像(そうぞう)するだけで、(いま)いる()(しょ)をもっと()(てき)()(しょ)()えられる。そう()がついたとき、(きゅう)(こころ)(まど)(ひら)いて、()(かい)(ふたた)(おお)きくなったような()がした。(ほん)のページをめくれば、どこにだって()けるし、(こころ)はいつだって()(げん)()(ゆう)なのだ。
 (すこ)しして(あめ)()がった。テントの(そと)()ると湿(しめ)った(つち)(かお)りがした。木々(きぎ)()(あら)われ、(みどり)がいっそう(かがや)いている。そして、(そら)には(あざ)やかな七(いろ)(にじ)(あめ)()らなければ(にじ)()ることはできない。だから、きっと、(だい)(じょう)()()(あん)()(ぼう)()えて、(まえ)()こう。


小林深雪(こばやし・みゆき)
(うお)()のA(がた)埼玉(さいたま)(けん)(しゅっ)(しん)武蔵野(むさしの)()(じゅつ)大学(だいがく)(そつ)(ぎょう)。ライター、(へん)(しゅう)(しゃ)()て1990(ねん)作家(さっか)デビュー。講談社(こうだんしゃ)(あお)(とり)(ぶん)()(ワイ)(エー)ENTERTAINMENT(エンターテインメント)などに著書(ちょしょ)があり、10(だい)(しょう)(じょ)たちから絶大(ぜつだい)人気(にんき)(あつ)める。()(どう)(しょ)のおもな作品(さくひん)に、「()いちゃいそうだよ」「これが(こい)かな?」「作家(さっか)になりたい!」シリーズ、エッセー(しゅう)()(どう)文学(ぶんがく)キッチン』、(どう)()『ちびしろくまのねがいごと』などがある。(まん)()原作(げんさく)()(すう)()がけ、『キッチンのお(ひめ)さま』(「なかよし」掲載(けいさい))で、(だい)30(かい)講談社(こうだんしゃ)(まん)()(しょう)(じゅ)(しょう)

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