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〈7月19日〉 砂原浩太朗
文字数 2,785文字
人
(
ひと
)
ちがい
長
(
ちょう
)
吉
(
きち
)
は
井戸
(
いど
)
から
水
(
みず
)
をくむと、
喉
(
のど
)
をならして
一息
(
ひといき
)
に
飲
(
の
)
みほした。
寺
(
てら
)
子
(
こ
)
屋
(
や
)
へ
行
(
い
)
く
気
(
き
)
にもならず
町
(
まち
)
をほっつき
歩
(
ある
)
いていたのだが、
真
(
ま
)
夏
(
なつ
)
の
昼
(
ひる
)
下
(
さ
)
がりである。十
歳
(
さい
)
の
身
(
み
)
にはこたえる
暑
(
あつ
)
さだった。
「ねえ、
水
(
みず
)
をおくれ」
正
(
しょう
)
面
(
めん
)
のぼろ
家
(
や
)
から、しわがれた
女
(
おんな
)
の
声
(
こえ
)
が
響
(
ひび
)
く。
見
(
み
)
知
(
し
)
らぬ
長
(
なが
)
屋
(
や
)
の
住
(
じゅう
)
人
(
にん
)
たちも
暑
(
あつ
)
さを
避
(
さ
)
けているのか、あたりに
人
(
ひと
)
影
(
かげ
)
はうかがえない。こわくなり、
立
(
た
)
ち
去
(
さ
)
ろうと
足
(
あし
)
を
踏
(
ふ
)
みだした。
「たのむよ、
暑
(
あつ
)
くて
死
(
し
)
んじまいそうだ」
すがるような
声
(
こえ
)
が
追
(
お
)
いかけてくる。おととし、はやり
風邪
(
かぜ
)
で
亡
(
な
)
くなった
母
(
はは
)
親
(
おや
)
のことを
思
(
おも
)
いだした。
最
(
さい
)
後
(
ご
)
の
方
(
ほう
)
は、
自
(
じ
)
分
(
ぶん
)
の
足
(
あし
)
で
立
(
た
)
てなくなっていたのだ。
声
(
こえ
)
の
主
(
ぬし
)
も
同
(
おな
)
じかもしれない。
井
(
い
)
戸
(
ど
)
の
脇
(
わき
)
に
投
(
な
)
げ
捨
(
す
)
ててあった
椀
(
わん
)
へ
水
(
みず
)
をそそぎ、おそるおそる
家
(
いえ
)
のなかに
入
(
はい
)
る。あがってすぐのところに
老
(
ろう
)
婆
(
ば
)
がひとり、ぐったりと
横
(
よこ
)
たわっていた。
水
(
みず
)
を
飲
(
の
)
ませると、ふうっと
息
(
いき
)
をつく。
長
(
ちょう
)
吉
(
きち
)
の
顔
(
かお
)
をまじまじと
見
(
み
)
つめ、うれしそうな
表
(
ひょう
)
情
(
じょう
)
になった。
「ありがとよ。おかげでおっ
母
(
か
)
さん、いのち
拾
(
びろ
)
いしたよ。
三
(
さん
)
太
(
た
)
は
親
(
おや
)
孝
(
こう
)
行
(
こう
)
だねぇ」
すこし
頭
(
あたま
)
がゆるんで、
人
(
ひと
)
ちがいをしているらしい。このひとの
子
(
こ
)
なら、もう
立派
(
りっぱ
)
なおとなだろう。これ
以
(
い
)
上
(
じょう
)
、
面倒
(
めんどう
)
が
起
(
お
)
こらないうちにと
腰
(
こし
)
をあげる。その
時
(
とき
)
ふっと、
手
(
て
)
作
(
づく
)
りらしい
粗
(
そ
)
末
(
まつ
)
な
位牌
(
いはい
)
が
目
(
め
)
に
入
(
はい
)
った。
汚
(
きたな
)
い
字
(
じ
)
で
表
(
おもて
)
に「さんた」と
書
(
か
)
かれている。
――
三
(
さん
)
太
(
た
)
、
死
(
し
)
んでたんだ……。
身
(
み
)
動
(
うご
)
きできずにいる
長
(
ちょう
)
吉
(
きち
)
へ、
老
(
ろう
)
婆
(
ば
)
が
声
(
こえ
)
をかける。
「もう
行
(
い
)
くのかい……そうか、
遅
(
おそ
)
くなると
親方
(
おやかた
)
に
叱
(
しか
)
られるものねぇ」
三
(
さん
)
太
(
た
)
はどこかへ
奉公
(
ほうこう
)
に
出
(
で
)
ていたらしい。よし、
怒
(
おこ
)
られるからしょうがない、といえば
帰
(
かえ
)
れるぞ、と
胸
(
むね
)
をなでおろした。
老
(
ろう
)
婆
(
ば
)
がさびしさをこらえるような
顔
(
かお
)
になっていう。
「いいよ、お
行
(
い
)
き。あたしは
平
(
へい
)
気
(
き
)
だから」
「……いや、まだだいじょうぶ」
自
(
じ
)
分
(
ぶん
)
でも
思
(
おも
)
いがけない
答
(
こた
)
えをかえしてしまう。おれは
何
(
なに
)
をしてるんだと
舌
(
した
)
打
(
う
)
ちしたものの、
甕
(
かめ
)
に
水
(
みず
)
を
足
(
た
)
してやったりして、
夕方
(
ゆうがた
)
まで
老
(
ろう
)
婆
(
ば
)
の
世話
(
せわ
)
を
焼
(
や
)
いて
引
(
ひ
)
き
上
(
あ
)
げることになった。
外
(
そと
)
へ
出
(
で
)
ると、
暑
(
あつ
)
さもすっかり
和
(
やわ
)
らいでいる。
通
(
とお
)
りかかったおばさんが、
長
(
ちょう
)
吉
(
きち
)
を
見
(
み
)
て
薄
(
うす
)
笑
(
わら
)
いを
浮
(
う
)
かべた。
「こんどは、あんたかい」
「えっ?」と
首
(
くび
)
をかしげていると、おばさんは
憐
(
あわ
)
れむような
目
(
め
)
でつづけた。
「あの
婆
(
ばあ
)
さんは、ずっと
一人
(
ひとり
)
だよ。
子
(
こ
)
どもなんか、いやしない。
位
(
い
)
牌
(
はい
)
までこしらえて、
手
(
て
)
のこんだことだよ。
呆
(
ぼ
)
けたふりばかり
上手
(
うま
)
くてねぇ」
毒
(
どく
)
づきながら
立
(
た
)
ち
去
(
さ
)
ってゆく。
長
(
ちょう
)
吉
(
きち
)
は
唇
(
くちびる
)
をかみしめ、
食
(
く
)
い
入
(
い
)
るようにぼろ
家
(
や
)
を
見
(
み
)
つめた。しばらくそのままでいたが、
思
(
おも
)
い
切
(
き
)
って
戸
(
と
)
に
手
(
て
)
をかける。
一気
(
いっき
)
に
開
(
ひら
)
くと、
団扇
(
うちわ
)
を
使
(
つか
)
っていた
老
(
ろう
)
婆
(
ば
)
が、ぎょっとなって
振
(
ふ
)
りかえった。
「さ、
三
(
さん
)
太
(
た
)
……
忘
(
わす
)
れものかい」
「
三
(
さん
)
太
(
た
)
じゃねえ」
きっぱりと
言
(
い
)
い
切
(
き
)
った。
老
(
ろう
)
婆
(
ば
)
の
顔色
(
かおいろ
)
がさっと
変
(
か
)
わる。
「
長
(
ちょう
)
吉
(
きち
)
っていうんだ。
三
(
さん
)
太
(
た
)
に
頼
(
たの
)
まれた、おれはなかなか
帰
(
かえ
)
れねえから、ちょくちょくおふくろの
顔
(
かお
)
を
見
(
み
)
に
行
(
い
)
ってくれって」
砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小
(
しょう
)
説
(
せつ
)
家
(
か
)
。1969
年
(
ねん
)
生
(
う
)
まれ、
兵
(
ひょう
)
庫
(
ご
)
県
(
けん
)
神戸
(
こうべ
)
市
(
し
)
出
(
しゅっ
)
身
(
しん
)
。
早稲田
(
わせだ
)
大学
(
だいがく
)
第一
(
だいいち
)
文学
(
ぶんがく
)
部
(
ぶ
)
卒
(
そつ
)
業
(
ぎょう
)
後
(
ご
)
、
出
(
しゅっ
)
版
(
ぱん
)
社
(
しゃ
)
勤
(
きん
)
務
(
む
)
を
経
(
へ
)
て、フリーの
編
(
へん
)
集
(
しゅう
)
・
校
(
こう
)
正
(
せい
)
者
(
しゃ
)
となる。2016
年
(
ねん
)
、「いのちがけ」で
第
(
だい
)
2
回
(
かい
)
「
決戦
(
けっせん
)
!
小
(
しょう
)
説
(
せつ
)
大
(
たい
)
賞
(
しょう
)
」を
受
(
じゅ
)
賞
(
しょう
)
。
著書
(
ちょしょ
)
に
受
(
じゅ
)
賞
(
しょう
)
作
(
さく
)
を
第
(
だい
)
一
(
いっ
)
章
(
しょう
)
とする『いのちがけ
加賀
(
かが
)
百
(
ひゃく
)
万
(
まん
)
石
(
ごく
)
の
礎
(
いしずえ
)
』、
共
(
きょう
)
著
(
ちょ
)
に『
決戦
(
けっせん
)
!
桶狭間
(
おけはざま
)
』、『
決戦
(
けっせん
)
!
設楽原
(
したらがはら
)
』(すべて
講談社
(
こうだんしゃ
)
)がある。
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