祖母の衣()桁()
「お
母()さん、これ
何()?」
振()り
向()いて、
娘()が
引()っ
張()り
出()して
来()た
物()に
目()を
見()開()く。
「
懐()かしい! それ、
衣()桁()だよ」
鳥()居()のような
形()の
木材()は
漆()塗()りで、
扇()型()のクリップがついた
房()飾()りがついている。
「
呉()服()屋()さんとかで
見()たことない?」
ピンと
来()ていない
娘()の
顔()を
見()て、
最近()の
子()は
呉()服()屋()さんなんて
早々()目()にしないのだと
思()い
至()る。
「ちょっと
待()って」
実演()してみせたほうが
早()いと、
箪笥()へ
手()を
伸()ばした。
先月()、
母()が
死()んだ。
私()が
幼()い
頃()に
父()が
亡()くなって
以()来()、
女()手()一()つで
私()を
育()ててくれた
苦()労()人()だった。
生活()を
支()えていたのは
和()裁()の
腕()で、
特()に「
柄()合()わせ」の
腕()がピカ一だったそうだ。コツがあるのか
訊()かれると、
決()まって「うまく
出()来()ると、
着()物()が
喜()ぶから」と
答()えていた。
母()はよく、
手()がけた
着()物()をこの
衣()桁()に
掛()けて、その
出来()を
確()かめていた。
作()業()台()と
針()坊()主()、
縦()長()の
鏡()台()に
囲()まれた
晴()れ
着()が、
掃()き
出()し
窓()からの
光()でぼんやりと
浮()かび
上()がる
光景()をよく
覚()えている。
この
古()いアパートは、
近()く
取()り
壊()される。
今日()は
掃()除()のために
戻()って
来()たのだが、もうすぐ
中()学()生()となる
娘()も
手()伝()うと
言()ってついて
来()たのだ。
まともな
着()物()はすでに
運()び
出()している。
残()っているのはシミが
出()ているものばかりだったはずだが、ふと
箪笥()の
底()に、たとう
紙()が
残()っていることに
気()が
付()いた。
取()り
出()して
開()いてみると、きつい
樟()脳()の
香()と
共()に、
思()いのほか
鮮()やかな
色()が
現()れた。
上()品()な
絹()の
光沢()を
持()った
桃()色()の
地()に、
大()小()さまざまな
蝶々()が
四()方()八()方()に
飛()び
交()っている。
「わ、
綺()麗()!」
後()ろから
覗()き
込()んだ
娘()が
感嘆()の
声()を
上()げた。
「――これ、七五三の
時()の
着()物()だよ」
「お
母()さんの?」
「そう」
母()が
吟()味()して、
手()ずから
縫()ってくれた
宝()もの。
随分()長()いこと、
忘()れていた。
「じゃあおばあちゃん、ずっと
大切()に
取()っておいたんだね」
娘()の
言()葉()に、
何()だか
鼻()の
奥()がつんと
来()て、それを
誤()魔()化()すように
衣()桁()へ
小()さな
着()物()をかける。
こうやって
使()うんだよと
言()いかけた、その
時()だ。
突然()、
突風()が
吹()いた。
窓()からではない。ぶわっと、
温()かく、でも
爽()やかで、
甘()い
花()の
香()りがする
春()の
風()が、
着物の中から
吹()き
出()して
来()たのだ。
その
風()に
乗()るように、しゃらしゃらしゃら、と
鈴()のような
軽()やかな
羽()音()を
立()て、
蝶()が
一斉()に
飛()び
出()して
来()た。
晩()春()の
雨()上()がりにかかる
虹()のように、
淡()くとろけるような
色()をした
翅()が、
頬()をかすめて
飛()んでいく。
舞()い
散()る
鱗()粉()は
光()のかけらのよう。
西()日()が
差()し
込()み、いつの
間()にか
明()るい
薄()紅()色()になった
部屋()の
中()を、七
色()の
蝶()の
渦()が
満()たしていく。
「ああ、いいね」
ふと、
耳元()で
母()の
声()が
聞()こえた
気()がした。
「
着()物()が
喜()んでる」
我()に
返()ると、
衣()桁()には
小()さな|
着()物()が、
何事()もなかったかのように
袖()を
広()げていた。
髪()をぐしゃぐしゃにしたまま、
私()と
娘()は
呆然()と
目()を
見()交()わす。
「……お
母()さん。その
着()物()と
衣()桁()、
私()にちょうだい」
しばらくして、
娘()が
言()った。
「いいけど……
着()物()、エコバッグにでもするの?」
不()器()用()な
私()と
違()い、
娘()が
先日()、
家()庭()科()の
授()業()で
作()って
来()た
作品()は
大()したものだった。しかしそれを
聞()いた
娘()は、「もったいない!」と
叫()んだ。
「や、
何()に
出()来()るかは
分()かんないけどさ。
着()物()のリメイクとか、ちょっと
興()味()出()てきた」
中()学()に
行()ったら
手()芸()部()もいいかもねと
呟()く
娘()は、
私()より、
私()の
母()と
似()ている。
阿部智里(あべ・ちさと)
1991
年()群()馬()県()生()まれ。2012
年()早稲田()大学()文()化()構想()学()部()在学()中()、『
烏()に
単()は
似()合()わない』(
文()藝()春()秋())で、
史()上()最()年()少()の20
歳()で
松本()清()張()賞()を
受()賞()し、デビュー。17
年()早稲田()大学()大学()院()文学()研()究()科()修()士()課()程()修()了()。デビュー
作()から
続()く「
八咫()烏()シリーズ」は
累計()150
万()部()を
越()える
大()ベストセラーとなり
人()気()を
博()す。ほかの
著書()に、
八咫()烏()シリーズの
外伝()『
烏()百()花()~
蛍()の
章()~』(
文藝()春()秋())、『
発現()』(NHK
出()版())がある。2020
年()9
月()、
八咫()烏()シリーズの
第()2
部()『
楽園()の
烏()』(
文藝()春()秋())の
刊行()を
予()定()している。
八咫()烏()シリーズ
公式()HP(
文藝()春()秋()) https://books.bunshun.jp/sp/karasu
【
近刊()】