〈8月30日〉 辻村深月

文字数 3,449文字

明日(あす)にひろがる(もの)(がたり)


 大翔(ひろと)()えなくなって、二ヵ(げつ)()(じょう)()ぎた。
 (いま)、こわい(びょう)()流行(はや)っていて、それにかかると大変(たいへん)なんだということは()っていた。そして、おじいちゃんおばあちゃんと()らす将矢(まさや)(とく)(ちゅう)()するように、とお(かあ)さんたちからくりかえし()われていた。──そんなに()われなくても()ってるよって(おも)うくらい、くりかえし。
 ずっと(やす)みだった学校(がっこう)は、()けるようになってもすぐには(もと)(どお)りにならなかった。
将矢(まさや)、まだ大翔(ひろと)くんに()えなくて残念(ざんねん)だね」
 (あさ)玄関(げんかん)でスニーカーを()いていると、お(かあ)さんが()った。
(みょう)()が〝い〟と〝や〟じゃ、(はな)れてるもんね」
 六(がつ)から(はじ)まった分散(ぶんさん)登校(とうこう)は、クラスを(しゅっ)(せき)番号(ばんごう)(じゅん)に三(ぶん)の一に()けて、交代(こうたい)学校(がっこう)(かよ)う。そして、(しゅっ)(せき)番号(ばんごう)はあいうえお(じゅん)だ。
 伊崎(いざき)大翔(ひろと)と、矢野(やの)将矢(まさや)ざきは(エー)グループで、のは(シー)グループ。(きょう)(しつ)にまだ大翔(ひろと)はいない。
 お(かあ)さんに()けて、将矢(まさや)(くび)()る。
「しかたないよ」
 (くち)にすると、()ったのは()(ぶん)なのに、(むね)がぎゅうっとなった。
「いってきます」
 学校(がっこう)では、(きょう)(しつ)(せき)はまだスカスカ(じょう)(たい)だった。あんまりくっついて(はなし)をしないように、と()われているから、()ている()たちともほとんど(かい)()することなく、あっという()()(こう)()(かん)になる。
 校門(こうもん)()て、(いえ)方向(ほうこう)(ある)()そうとした──その(とき)
将矢(まさや)!」
 (こえ)(かお)()げて──将矢(まさや)(いき)をのんだ。
 ()()(ちが)いかと(おも)ったけど──大翔(ひろと)が、()っていた。
 (かお)半分(はんぶん)(おお)(おお)きなマスクをして、()(てん)(しゃ)にまたがっている。(ひたい)(かみ)に、(あせ)がたくさん(ひか)っている。
大翔(ひろと)……」
 (おどろ)きすぎて、すぐには(こえ)()てこなかった。
 だけど──()っててくれたんだ、とわかった。
 今日(きょう)()(ぶん)登校(とうこう)()じゃないのに。
「なんで、いるの」
「べつに」
 大翔(ひろと)(こた)える。(すこ)(こま)った、みたいな(かお)(わら)った。
 大翔(ひろと)()(てん)(しゃ)のカゴに(ほん)が一(さつ)(はい)っている。それを()て、将矢(まさや)(くち)から「あっ」と(こえ)()る。
「その(ほん)、オレも()ってる!」
 将矢(まさや)(こえ)に、大翔(ひろと)がびっくりしたように(ほん)()()った。
「マジで?」
「うん。おじいちゃんたちがオレが、ジシュクの(あいだ)退屈(たいくつ)しないようにって()ってくれた」
「じゃ、どのシーン()き? てかさ、ラスト、(おどろ)かなかった?」
「すげえ(おどろ)いた。だけど、すっご、大翔(ひろと)(さい)()まで()んだの?」
 ()(がい)だった。大翔(ひろと)はあまり(ほん)とか()まないタイプだと(おも)ってたのに。
「まあ……」
 大翔(ひろと)()れくさそうに(うなず)く。
将矢(まさや)()んだことなかったら、()そうかと(おも)ってた」
 (むね)がいっぱいになって、ありがとう、の一言(ひとこと)(くち)から()てこない。()ってしまうのがもったいないくらい気持(きも)ちがいっぱいになると、(いち)(ばん)(つた)えたい(こと)()()てこないんだ、と(はじ)めて()った。
 二人(ふたり)(ぜん)()間隔(かんかく)をあけて、(ある)()す。(ある)きながらずっと、その(ほん)(はなし)をした。
 ()えなかった(あいだ)に、()(ぶん)()きなその(ほん)大翔(ひろと)(べつ)()(しょ)()んでいて、その(はなし)(いま)一緒(いっしょ)にできるなんて、すごく不思議(ふしぎ)()(ぶん)だった。
 将矢(まさや)(いえ)()(ちょく)(ぜん)大翔(ひろと)が「じゃあ」と()って、()(てん)(しゃ)()きを()えた。
「あ、まって」
 将矢(まさや)()()め、ようやく(くに)にする。
「ありがと。()いにきてくれて」
 大翔(ひろと)(こん)()も、(すこ)(こま)った、みたいに(わら)って、「(べつ)に」と()った。
「じゃあ、また」
 マスクをした(かお)(まえ)()け、()(てん)(しゃ)をこぎだす。
「うん、またね!」
 (こえ)()()げて、将矢(まさや)大翔(ひろと)()(なか)()びかける。
 ()りつける太陽(たいよう)(した)、「またね」と、明日(あす)()けての約束(やくそく)ができることが、とても──とてもうれしかった。


辻村深月(つじむら・みづき)
1980(ねん)(がつ)29(にち)()まれ。山梨(やまなし)(けん)(しゅっ)(しん)。2004(ねん)、『(つめ)たい校舎(こうしゃ)(とき)()まる』で(だい)31(かい)メフィスト(しょう)(じゅ)(しょう)し、デビュー。『ツナグ』で(だい)32(かい)吉川(よしかわ)英治(えいじ)文学(ぶんがく)新人(しんじん)(しょう)、『(かぎ)のない(ゆめ)()る』で(だい)147(かい)直木(なおき)三十五(さんじゅうご)(しょう)(じゅ)(しょう)、『かがみの()(じょう)』で(だい)15(かい)(ほん)()(たい)(しょう)(だい)()となる。その(ほか)著作(ちょさく)に『スロウハイツの神様(かみさま)』、『ハケンアニメ!』、『(あさ)()る』、『傲慢(ごうまん)(ぜん)(りょう)』、『(しょう)(せつ) (えい)()ドラえもん のび()月面(げつめん)(たん)()()』などがある。

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