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〈8月16日〉 一木けい
文字数 2,848文字
音楽
(
おんがく
)
「お
母
(
かあ
)
さんホント
頑
(
がん
)
張
(
ば
)
ったなあ。あなたの
勉
(
べん
)
強
(
きょう
)
見
(
み
)
て、
笛
(
ふえ
)
吹
(
ふ
)
いて
前転
(
ぜんてん
)
後転
(
こうてん
)
して
給
(
きゅう
)
食
(
しょく
)
調
(
ちょう
)
理
(
り
)
も
用
(
よう
)
務
(
む
)
員
(
いん
)
さんもこなして。
P
(
ピー
)
T
(
ティー
)
A
(
エー
)
と四
月
(
がつ
)
の
書
(
しょ
)
類
(
るい
)
地
(
じ
)
獄
(
ごく
)
がないのはよかったけど」
親
(
おや
)
子
(
こ
)
共々
(
ともども
)
待
(
ま
)
ちに
待
(
ま
)
った
登校
(
とうこう
)
日
(
び
)
の
朝
(
あさ
)
。
雨
(
あめ
)
。
「だるいな」
「
好
(
す
)
きな
子
(
こ
)
の
顔
(
かお
)
が
見
(
み
)
られるじゃない」
「そんなやつ、いねえよ」
目
(
め
)
が
勝
(
かっ
)
手
(
て
)
に
追
(
お
)
ってしまう
子
(
こ
)
ならいる。
『それ、なんて
曲
(
きょく
)
?』
水
(
みず
)
飲
(
の
)
み
場
(
ば
)
で
訊
(
き
)
かれたのは
昨年
(
さくねん
)
の
秋
(
あき
)
。
俺
(
おれ
)
がハミングしていた
曲
(
きょく
)
の
名
(
な
)
を、あいつは
暗
(
あん
)
記
(
き
)
するように
何
(
なん
)
度
(
ど
)
も
呟
(
つぶや
)
いた。
『
音
(
おと
)
がどんどん
下
(
さ
)
がっていくのが
恰好
(
かっこう
)
いいね』
左
(
ひだり
)
頬
(
ほほ
)
の
笑
(
え
)
窪
(
くぼ
)
が
目
(
め
)
に
焼
(
や
)
きついた。
ばくんと
心臓
(
しんぞう
)
が
暴
(
あば
)
れる。
あいつだ。
あいつが
教
(
きょう
)
室
(
しつ
)
に
入
(
はい
)
ってきた。
まじで?
同
(
おな
)
じクラス?!
俺
(
おれ
)
は
机
(
つくえ
)
の
下
(
した
)
でパパパン、と
太
(
ふと
)
ももを
叩
(
たた
)
いた。
【
近
(
ちか
)
づかない。
触
(
さわ
)
らない。なるべくコミュニケーションとらない】
しかし
黒板
(
こくばん
)
にはでかでかと
書
(
か
)
いてある。
友
(
とも
)
だち
作
(
つく
)
んなってこと?
あいつの
席
(
せき
)
は
最
(
さい
)
前
(
ぜん
)
列
(
れつ
)
。
前
(
まえ
)
を
向
(
む
)
いてろと
先生
(
せんせい
)
は
言
(
い
)
う。
マスクのせいで
声
(
こえ
)
は
聴
(
き
)
こえづらいし、
笑
(
え
)
窪
(
くぼ
)
も
見
(
み
)
えない。
それでも
俺
(
おれ
)
は、
明日
(
あした
)
が
楽
(
たの
)
しみだった。
なのに。
その
晩
(
ばん
)
、
市
(
し
)
内
(
ない
)
で
感染
(
かんせん
)
者
(
しゃ
)
が
出
(
で
)
た。また
休
(
きゅう
)
校
(
こう
)
。
「
少
(
すこ
)
しずつ
宿
(
しゅく
)
題
(
だい
)
進
(
すす
)
めとくのよ」
明日
(
あした
)
も
休
(
やす
)
み、
明後日
(
あさって
)
も
休
(
やす
)
み。
終
(
お
)
わりはいつ?
はああ。
大
(
たい
)
量
(
りょう
)
の
宿
(
しゅく
)
題
(
だい
)
を
机
(
つくえ
)
の
端
(
はし
)
によけ、
俺
(
おれ
)
は
C
(
シー
)
D
(
ディー
)
に
手
(
て
)
を
伸
(
の
)
ばした。
*
涙
(
なみだ
)
がたれてイヤフォンの
隙
(
すき
)
間
(
ま
)
から
耳
(
みみ
)
に
入
(
はい
)
り、
歌声
(
うたごえ
)
と
混
(
ま
)
ざる。
曲
(
きょく
)
の
合
(
あい
)
間
(
ま
)
に
何
(
なに
)
かの
割
(
わ
)
れる
音
(
おと
)
が
聴
(
き
)
こえた。
国
(
くに
)
から
配
(
くば
)
られたお
金
(
かね
)
とパチンコを
巡
(
めぐ
)
る
罵
(
ののし
)
り
合
(
あ
)
い。
先
(
せん
)
週
(
しゅう
)
の
登校
(
とうこう
)
日
(
び
)
が
夢
(
ゆめ
)
みたい。この
曲
(
きょく
)
を
教
(
おし
)
えてくれた
彼
(
かれ
)
は、
思
(
おも
)
わず
二度
(
にど
)
見
(
み
)
するほど
背
(
せ
)
が
伸
(
の
)
びていた。
ああ、お
腹
(
なか
)
がすいた。
私
(
わたし
)
の
家
(
いえ
)
は
深海
(
しんかい
)
にあるのかもしれない。
暗
(
くら
)
くて
寒
(
さむ
)
くて
餌
(
えさ
)
が
少
(
すく
)
ない。
私
(
わたし
)
は
息
(
いき
)
を
止
(
と
)
めてまた
音楽
(
おんがく
)
に
潜
(
もぐ
)
る。
「どっか
行
(
い
)
くの」
やっと
再開
(
さいかい
)
となった
快晴
(
かいせい
)
の
朝
(
あさ
)
、
母
(
はは
)
は
布
(
ふ
)
団
(
とん
)
の
中
(
なか
)
からそう
言
(
い
)
ってまた
寝
(
ね
)
た。
外
(
そと
)
に
出
(
で
)
ると
身体
(
しんたい
)
がぺきぺき
膨
(
ふく
)
らむ。
海
(
うみ
)
の
底
(
そこ
)
で
潰
(
つぶ
)
れていたペットボトルが
徐々
(
じょじょ
)
に
空
(
くう
)
気
(
き
)
を
含
(
ふく
)
んでいくように。
浮
(
ふ
)
上
(
じょう
)
。
教
(
きょう
)
室
(
しつ
)
に
入
(
はい
)
るなり
彼
(
かれ
)
と
目
(
め
)
が
合
(
あ
)
った。むっとした
顔
(
かお
)
ですぐ
逸
(
そ
)
らされた。
今日
(
きょう
)
の
学活
(
がっかつ
)
は
自己
(
じこ
)
紹
(
しょう
)
介
(
かい
)
。
出
(
しゅっ
)
席
(
せき
)
番号
(
ばんごう
)
一
番
(
ばん
)
の
私
(
わたし
)
が
名
(
な
)
前
(
まえ
)
と
好
(
す
)
きなバンドを
言
(
い
)
い、
着
(
ちゃく
)
席
(
せき
)
しようとしたそのとき。
先生
(
せんせい
)
が
思
(
おも
)
いもよらないことを
言
(
い
)
った。
「
素
(
す
)
敵
(
てき
)
なお
顔
(
かお
)
を
見
(
み
)
せてちょうだい」
ガキかよ。
全員
(
ぜんいん
)
やんの。ブーイングが
起
(
お
)
きる
中
(
なか
)
、どこからかグッジョブという
囁
(
ささや
)
きが
聴
(
き
)
こえた。
再
(
ふたた
)
び
訪
(
おとず
)
れた
静
(
せい
)
寂
(
じゃく
)
の
中
(
なか
)
で、
私
(
わたし
)
は
用心
(
ようじん
)
深
(
ぶか
)
く、マスクを
外
(
はず
)
した。
また
彼
(
かれ
)
と
目
(
め
)
が
合
(
あ
)
った。
今
(
こん
)
度
(
ど
)
は
逸
(
そ
)
らされなかった。
ほんの
一
(
いっ
)
瞬
(
しゅん
)
の
出
(
で
)
来
(
き
)
事
(
ごと
)
だったけど、
世
(
せ
)
界
(
かい
)
に
光
(
ひかり
)
が
満
(
み
)
ち
溢
(
あふ
)
れ、
指先
(
ゆびさき
)
まで
力
(
ちから
)
が
漲
(
みなぎ
)
るような
気
(
き
)
がした。
一木けい(いちき・けい)
1979
年
(
ねん
)
福岡
(
ふくおか
)
県
(
けん
)
生
(
う
)
まれ。
東
(
とう
)
京
(
きょう
)
都
(
と
)
立
(
りつ
)
大学
(
だいがく
)
卒
(
そつ
)
。2016
年
(
ねん
)
「
西国
(
にしこく
)
疾走
(
しっそう
)
少
(
しょう
)
女
(
じょ
)
」で
第
(
だい
)
15
回
(
かい
)
「
女
(
おんな
)
による
女
(
おんな
)
のための
R
(
アール
)
-18
文学
(
ぶんがく
)
賞
(
しょう
)
」
読者
(
どくしゃ
)
賞
(
しょう
)
を
受
(
じゅ
)
賞
(
しょう
)
。2018
年
(
ねん
)
、
受
(
じゅ
)
賞
(
しょう
)
作
(
さく
)
を
収
(
しゅう
)
録
(
ろく
)
した『1ミリの
後悔
(
こうかい
)
もない、はずがない』(
新
(
しん
)
潮
(
ちょう
)
社
(
しゃ
)
)でデビュー。
最新作
(
さいしんさく
)
は、『
全
(
ぜん
)
部
(
ぶ
)
ゆるせたらいいのに』。
【
近刊
(
きんかん
)
】
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tree編集部
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〈7月7日〉 オカザキ・ヨシヒサ
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〈7月11日〉 高田大介
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〈7月14日〉 かすがまる
〈7月15日〉 まさきとしか
〈7月16日〉 小野寺史宜
〈7月17日〉 令丈ヒロ子
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〈7月19日〉 砂原浩太朗
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〈7月21日〉 篠原美季
〈7月22日〉 木下昌輝
〈7月23日〉 はやみねかおる
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〈7月25日〉 寺地はるな
〈7月26日〉 パリュスあや子
〈7月27日〉 浜口倫太郎
〈7月28日〉 行成薫
〈7月29日〉 矢部嵩
〈7月30日〉 小林深雪
〈7月31日〉 乗代雄介
〈8月1日〉 武川佑
〈8月2日〉 矢崎存美
〈8月3日〉 神津凛子
〈8月4日〉 大沼紀子
〈8月5日〉 一穂ミチ
〈8月6日〉 犬塚理人
〈8月7日〉 宮下恵茉
〈8月8日〉 大山誠一郎
〈8月9日〉 阿部智里
〈8月10日〉 朝倉宏景
〈8月11日〉 宮西真冬
〈8月12日〉 澤田瞳子
〈8月13日〉 三津田信三
〈8月14日〉 石崎洋司
〈8月15日〉 中島京子
〈8月16日〉 一木けい
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〈8月20日〉 大崎梢
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〈8月22日〉 最果タヒ
〈8月23日〉 伴名練
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〈8月25日〉 折原みと
〈8月26日〉 武田綾乃
〈8月27日〉 伊藤理佐
〈8月28日〉 西尾維新
〈8月29日〉 須賀しのぶ
〈8月30日〉 辻村深月
〈8月31日〉 森見登美彦
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