第65話 日向に絡んできた男にたいし、豹変したのは磯川だった

文字数 1,904文字

 四十路(よそじ)の中年男が、若い二人を相手にするのはかなりのハンデだ。
 それに磯川の言う通り、たとえ勝てたとしても、いまの日向に得になることはなに一つなかった。
 怪我(けが)をさせたら傷害罪で捕まってしまうし、怪我をさせられたら仕事に支障が出てしまう。
 加えて、スキャンダルになる可能性もあった。
 だからといって、あのまま店にいても彼らはエスカレートするばかりだ。
 とどのつまり、とりあえず二人を連れ出した、というのが本音だった。
 正直、どうするかは決めていなかった。
「は!? てめえ、なに言ってんの!? いまさら、写真なんか撮るわけねえだろ!」
 ツーブロック七三男が吐き捨てた。
「なにが目的なんだよ?」
 日向は訊ねた。
「なんだ? お前、さっきまでイキってたくせに、ビビってんのか!?」
 陽灼け男が、挑発的に言った。
「ビビッてはないけど、できるなら喧嘩はしたくない。だから、謝れっていうなら謝ってもいい」
 日向は、二人の顔を交互に見据えた。
「ガングロおっさん、ふざけんじゃねえぞっ! うら!」
 陽灼け男が、日向の胸倉を摑(つか)んだ。
「離せよ」
 日向は、押し殺した声で言った。
「離すわけねえだろ! くそが!」
 視界に迫る陽灼け男の頭――眉間に激痛。
 日向は二、三歩後方によろめいた。
 飛んでくる右の拳――日向は身を沈め、腹に拳を打ち込んだ。
 陽灼け男の体が、くの字に折れた。
「ぶっ殺す!」
 ツーブロック七三男が、鬼の形相で殴りかかってきた。
 もう、あとには引けなかった。
 日向が右のカウンターを放とうとしたとき、なにかが視界を過(よぎ)った。
「このへんで終わりにしましょう」
 日向を遮るように立ちはだかった磯川が、ツーブロック七三男と陽灼け男に言った。
「なんだ!? おっさん、邪魔すんじゃねえ!」
「ボコボコにされたくねえなら、出しゃばんな!」
 二人が磯川の胸を小突いた。
「磯川さん、ここは俺に任せて」 
 日向は磯川の前に回り込みながら言った。
 東郷のときのように、自分を守るために土下座をさせたくはなかった。
「いえ、ここは無名な僕の仕事です。それに、今日は土下座をしませんから、大丈夫です」
 磯川が日向に片目を瞑(つむ)り、外した眼鏡をワイシャツの胸ポケットにしまった。
「おっさん! てめえは邪魔だって……」
 陽灼け男が、言葉の続きを吞(の)み込んだ。
「どうした? おっさんが相手してやるから、かかってこいや」
 磯川がドスの利いた声で言いながら、陽灼け男を睨みつけた。
 陽灼け男は、蛇(へび)に睨まれた蛙(かえる)のように立ち竦(すく)んでいた。
「こいつはやらないようだが、お前はどうする?」
 磯川が、陽灼け男からツーブロック七三男に顔を向けた。
 日向は、眼と耳を疑った。
 三白眼の鋭い眼つきも、声のトーンも、口調も、日向の知っている磯川とは別人だった。
 なにより、磯川の全身から発せられている殺気は、日向が若い頃に触れてきた裏社会の人間を彷彿(ほうふつ)させた。
「おい……行こうぜ」
 ツーブロック七三男が、陽灼け男を促し速足で立ち去った。
「お恥ずかしいところを、お見せしました」
 磯川がいつもの柔和な顔に戻り、照れ臭そうに言った。
「磯川君って、昔、反社だった?」
 冗談ではなく、日向は本気で訊ねた。
 半グレ二人を戦意喪失させた眼力と殺気は、とても堅気とは思えなかった。
「いやいや、とんでもないです。日向さんほどではないですが、僕も昔、やんちゃしていた若気の至り時代があっただけですよ」
 磯川が笑い飛ばした。
「いやいや、はこっちのセリフだよ。若気の至りレベルじゃ、半グレ二人を戦わずして追い払うことなんてできないから」
「とにかく、大事にならずによかったです」
 磯川が真顔になり、日向をみつめた。
 さっきまでの鋭い眼光とは打って変わって、磯川の瞳には優しい光が宿っていた。
「また、君に救われたね。あのままだったら、ネットで炎上していたかもしれないからね。ありがとう」
 日向は思いを込めて、感謝の気持ちを伝えた。
「救ったなんて、大袈裟ですよ。彼らの無礼な態度に、イラッときただけです。こう見えて、僕は短気ですから。さあ、店を変えて飲み直し、新作の打ち合わせをしましょう!」
 磯川は照れ隠しなのか、明るく言うと夜の繁華街を歩き始めた。
「今日は、磯川君の反社時代の思い出話をしながら、記憶を失うまで飲もうか!」
 日向は、磯川の肩に腕を回しながら笑顔で言った。
 
(次回につづく)

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