第67話 誓いも新たに、再びタッグを組まんとする二人は――

文字数 3,365文字

 日向は、正直な思いを磯川にぶつけた。
「アンダーグラウンド上がりの作家、芸能プロダクションを掛け持ちテレビに出演する金髪ガングロの作家、白作品、黒作品という真逆の世界観を書き続ける作家……日向誠の波乱万丈の半生は、これまでの日向作品の主人公のインパクトに負けていないと思いますよ。それに、小説仕立てになってはいますが、『直木賞を取らなかった男』は実話をベースにした物語ですから、デフォルメしないほうがより面白くなるというのが僕の考えです。ただ、これはあくまでも僕の考えなので、日向さんが決めてください」
 磯川の言葉を、日向は心で反芻した。
 フィクションではなくノンフィクションに近い物語……言われてみれば、そうなのかもしれない。
 たとえば腕時計に宝石を後付けすれば豪華にみえるかもしれないが、違和感を覚えてしまう。 どこか不自然であり、最初からのデザインではなく宝石を後付けしたことが一目でわかる。
「宝石をゴテゴテ後付けしたロレックスを想像したら、磯川君の言いたいことがわかったよ」
 日向は言った。
「日向さんが得意の比喩で考えてくれたんですね。そうなんです。ロレックスは、後付けなんてしなくても十分に迫力があるし魅力的ですから」
 磯川の口元は綻(ほころ)んでいたが、瞳は真剣だった。
「俺にとっても初の試みだから、新鮮でワクワクするよ」
「それはよかったです。打ち合わせの続きですが、ウチの会社でしませんか? 一室しかない会議室を別の編集者に抑えられていたんですが、キャンセルになったみたいで空いていたんですよ」
「そうしよう。君の聖域も見てみたいしね」
 日向は、素早く伝票を手にすると立ち上がった。
「あ、お会計は僕が……」
「君が特別リリーフしてくれたお礼に、たまには俺が払うよ」
 日向は早口で言うと、逃げるようにレジに向かった。
                  ☆
 雑居ビルの一階のガラス扉に、「童夢(どうむ)出版」の木製のプレートがかかっていた。
 中に入ると、こぢんまりしたスクエアな空間が広がり、そこここに絵本がディスプレイされていた。
 熊、犬、猫のぬいぐるみや風船がところどころに飾られており、幼児相手の出版社らしい趣があった。
 木製の丸テーブルが点々と三つ設置してあり、真ん中のテーブルでパソコンに向き合っていた女性が、日向を認めると立ち上がり頭を下げた。
 五十代と思(おぼ)しき女性はデニムにTシャツというラフな恰好(かっこう)で、ボーイッシュなベリーショートがよく似合っていた。
「日向さん、こちらは社長の三沢(みさわ)さんです」
「社長と言っても、社員は編集長の磯川さんと営業スタッフが一人の三人だけですから」
 三沢社長が朗らかに笑った。
「改めて、『童夢出版』の三沢です」
 三沢が名刺を差し出してきた。
「はじめまして、日向です。磯川さんは、デビュー前からお世話になっている恩人です」
 日向は名刺を受け取り、自己紹介した。
「あら、磯川さん、ベストセラー作家さんの恩人だなんて、凄いじゃない!」
 三沢が磯川の肩を思い切り叩いた。
 磯川が、苦笑いしながら日向を見た。
 いまのやり取りを見ていただけで、磯川の職場がアットホームな環境だということがわかった。
「いい意味で、出版社らしくないですね。どちらかと言えば、絵本専門店のようです」
 日向は本心を口にした。
「まあ、嬉しい! ねえ、磯川さん!」
 三沢が破顔し、ふたたび磯川の肩を叩いた。
「私も、子供達がふらっと遊びにこられるような出版社にしたかったんですよ!」
 三沢の無邪気に輝く瞳を見てハッとした。
 彼女は仕事としてではなく、自分が楽しむことを優先していた。
 だからといって、読者をないがしろにしているわけではない。
 自分が楽しめるというのは、自分だけが楽しめればいいという意味ではない。
 子供達が楽しむ姿を見るのが自分の楽しみ……つまり、自分が楽しめるのは子供達が楽しめる絵本を作ったとき、という意味だ。
 磯川が、「日文社」に戻らないと言い切る理由がわかったような気がした。
「いろいろな絵本があるんですね」
 日向はディスプレイされている絵本を見て回った。
「『よわむしライオン』、『足のおそいチーター』、『人間に生まれたかったイヌ』、『イジワルなおひさま』……子供達が興味を引きそうなタイトルばかりだね」
「タイトル会議っていうのがありまして……といっても三人ですけど、納得いくものが生まれるまで五時間を超えることもあります」
 磯川が笑いながら言った。
「五時間も!? 長くない!?」
 日向は驚きの声を上げた。
「小説もタイトルで売れ行きが左右されることはあるんですけど、絵本の場合はもっと顕著に表れてしまいます。小説は大人が自分で買う場合が多いですけど、絵本は親が買う場合が多いですよね? 我が子に読ませる絵本なので、タイトルが教育に悪そうだという印象を与えてしまうと、内容云々を確認する前に手に取ってくれません。それと、絵本は小説と違って、五年、十年先を見据えて作りますから流行のワードは使えません。そうなってくると、よさそうなタイトルはほとんど使われています。ほかの絵本と被らず、なおかつ親が幼子に読んで聞かせたいと思うようなタイトルは、そう簡単に浮かびませんよ。まあ、半世紀愛され続ける絵本を作るのが僕らの夢なので、そう考えると五時間なんて一瞬ですよ」
 我が子にそうするように、絵本に手を置きながら穏やかな表情で語る磯川をみていると、日向の口元も自然と綻んだ。
 いまでも、磯川に戻ってきてほしいという気持ちはあった。
 だが、それ以上に磯川に好きに生きてほしいという気持ちのほうが強くなっていた。
「半世紀愛され続ける絵本か……。表現からして、もう違うね。俺なんかだと、爆発的に売れる本、って言いかたしちゃうけどね」
 日向は自嘲的に笑った。
「日向さんは、それでいいんですよ。因(ちな)みに、これが僕が担当している作家さんの新作です」
 磯川が、自分のデスクに置いてあった絵本を日向に手渡してきた。
「『みらいのキミからいまのキミへ』」
 表紙には、パイロットの制服を着た馬、ナース服を着た子犬、消防士の防火服を着たゾウ、スーツを着たライオン、野球のユニフォームを着たゴリラ、サッカーのユニフォームを着たチンパンジー、フライトアテンダントの制服を着たカンガルーの絵が描かれていた。
 不意に、涙腺が緩(ゆる)くなった。
「動物達の夢をテーマに、親と子が……あれ……もしかして、日向さん、泣いてます?」
 磯川がびっくりしたように言った。
「五十も近くなると、涙脆(もろ)くなっていやだね」
 日向は照れ笑いを浮かべながら、手の甲で涙を拭った。
 内容も読んでいないのに、イラストを見ただけで己の幼少時代の無垢(むく)な気持ちが蘇ってきて、涙が込み上げたのだ。
「日向さんの涙は、僕にとって最高の誉め言葉ですよ」
 磯川が嬉しそうに言った。
「よかったじゃない、編集長。アンダーグラウンド小説の帝王を装丁だけで感動させるなんて、私達が天国に行っても売れ続けるロングセラーは確実ね!」
 三沢が声を弾ませ破顔した。
「社長はともかく、僕は地獄からみてるかもしれませんけど」
 磯川が自虐的に言うと笑った。
「よう、磯川君、久しぶり!」
 日向は振り返り、息を吞(の)んだ。
 オールバック気味の七三、薄紫のサングラス、紺地に白のタータンチェックのジャケット、白のポケットチーフ……東郷真一が、ドア口で手を上げていた。
「なんだ、君もいたのか」
 東郷が日向に視線を移した。
「なんの用です?」
 日向は、つい、きつい口調になっていた。
「おいおい、そんな邪険に扱わないでくれよ。今日は、お前と喧嘩(けんか)をしにきたんじゃないから」
 東郷が、顔の前で手を振って苦笑した。
「東郷先生ですよね? はじめまして、三沢と申します」
 三沢が東郷に名刺を渡した。
「ああ、よろしく」
 東郷は名刺を一瞥(いちべつ)すると、上着のポケットに捻(ね)じ込んだ。

(次回につづく)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み