第31話 ヒットを飛ばす日向はテレビ番組の準レギュラーとなるが……
文字数 3,276文字
「日向さん、新興宗教団体をテーマにした『メシア』は原稿用紙二千五百枚という大作ですが、完成までどのくらいかかったんですか?」
日向が準レギュラーとして出演している「サンデーフラッシュ」のMC……「爆弾小僧」の田上(たうえ)が台本通りに話を振った。
「一年はかかっていませんね。十一ヶ月くらいで書き上げたと思います」
日向が言うと、レギュラー陣やゲストのグラビアアイドルが驚きの声を上げた。
「十一ヶ月!? それは凄(すご)いですね!」
田上が眼(め)を丸くした。
「今回の作品は、何人くらいの日向さんで完成させたんですか?」
相方の大井(おおい)が、得意の毒のあるジョークで茶々を入れてきた。
「こらこら、失礼なことを言うんじゃないよ。まるで日向さんに、ゴーストライターがいるみたいな言いかたをするな」
田上が大井を窘(たしな)めた。
日向は苦笑いした。
イジられるのは、いつものことだ。
前回の出演時は、覚醒剤で捕まった女優の話題のときに、日向さんはいつ薬物を抜いてきたんですか? とイジってきた。
だが、ゴーストライターイジリをしてくるのは大井だけではなかった。
月刊誌や週刊誌など、合わせて八本の小説連載を抱え、ハイピッチで作品を量産する日向にはゴーストライターが三人いると、インターネットなどで実(まこと)しやかに囁(ささや)かれていた。
「最新作の『メシア』は、あの悪名(あくみょう)高いカルト教団の『誓(ちか)いの里』をモデルにしたという噂(うわさ)がありますが、本当ですか?」
田上が、ふたたび台本通りの質問をした。
「よくその質問をされるのですが、私は『誓いの里』に関する書物は一ページも読んでません。『メシア』は、まったくの創作です」
本当だった。
カルト教団のリアルな描写に読者の間では、日向は「誓いの里」に潜入取材をしたのではないか? 日向は信者ではないか? と噂が流れるほどだった。
噂はいい宣伝になり、『メシア』は上下巻合わせて九百ページの超大作で、二冊の合計が三千六百円という高額にもかかわらず、発売半年で二十万部を突破していた。
前作の『無間煉獄(むげんれんごく)』に続いて、『メシア』は「与那国屋(よなぐにや)書店」ベストセラーランキングで一位に輝いた。
もちろん、ずっと一位というわけではない。
同時期に発売された名倉さゆりの上下巻『疑似犯人』と、朝丘美織の『きらきら』、この三作品が週ごとに一位を奪い合っていた。
デビュー当時から、日向が追いつけ追い越せと意識し続けてきた風間玲と東郷真一は、新刊を出していないので今回はランキングに入っていなかった。
「『誓いの里』に関する書物は一ページも読んでなくても、マントラは唱(とな)えてますか?」
ふたたび、大井が毒のある茶々を入れてきた。
「だから、もう、そういうこと言うのやめなさいって! 日向さんは見かけが怪しいんだから、視聴者が信じてしまうかもしれないだろ?」
田上は大井を窘めながらも、日向に追いイジリをすることを忘れなかった。
「爆弾小僧」の二人が日向をうまく扱ってくれるおかげで、朝の生放送の情報バラエティ番組にガングロ金髪姿の作家が出演しても、視聴者からの苦情は一切なかった。
『メシア』はデビュー三年目、五作目にして初めて街金融以外をテーマにした作品だ。
『メシア』がベストセラーになったことで、日向は実体験を基にした小説以外は書けない、という一部のアンチを黙らせることができた。
デビューしてからの作品すべてがベストセラー……日向誠の作家人生は順風満帆だった。
だが、日向は現状に満足していなかった。
風間玲も名倉さゆりも東郷真一も、過去に五十万部超えのベストセラー作品を発表している。
日向は前作『無間煉獄』の十八万部が最高だ。
刊行作品が少ないことを理由にしたくはなかった。
長く続けている作家が凄いというわけではない。
長く売れ続けている作家が凄いのだ。
十作、二十作と刊行作が増え続けても、日向が『無間煉獄』や『メシア』以上のヒット作を生み出せるという保証はないのだ。
「日向さん、言える範囲でいいんですけど、次回作の構想はあるんですか?」
田上は遠慮がちに訊ねているが、これも台本通りの質問だ。
日向は楽屋で台本に眼を通したときから、どう答えるか迷っていた。
次作は一年後の三月に、「樹川(きがわ)書店」からの刊行と決まっていた。
ありがたいことに、三年先まで日向の出版スケジュールは決まっていた。
「樹川書店」での出版は決まっていても、なにを書くかはまだ決まっていない。
編集長の池内(いけうち)からは、次の打ち合わせのときに意見を出し合いましょう、と言われていた。
因(ちな)みに、その打ち合わせが今日の午後だ。
日向は、次回作のテーマを決めていた。
恋愛小説。
打ち合わせのときに池内に伝えるつもりだったが、反対されるのは目に見えている。
無理もない。
暴力やセックス、裏切りと金に満ちた闇社会を舞台に、登場するのはろくでなしとひとでなしばかりの暗黒小説で現在の地位を築いた日向の書く恋愛小説など、どの出版社も求めていない。
黒作品ならばベストセラーは約束されたようなものなのに、売れるかどうかわからない白作品でギャンブルを打つ物好きはいないだろう。
ババを引きたくないという気持ちは、どの出版社の編集者も同じだ。
「はい。次は恋愛小説を書くつもりです」
日向はきっぱりと言った。
思い直し、公共の電波で既成事実を作り、押し切る作戦に出た。
もちろん、池内も黙っていないだろう。
だが、大成功の前には激しい逆風が吹くことを、日向は過去の経験で知っていた。
「恋愛小説!? 僕の聞き間違いじゃないですよね?」
田上が、驚いた顔で訊(たず)ねてきた。
演技ではなく、本当に驚いているようだった。
「はい。恋愛小説です」
日向は笑顔で繰り返した。
「失礼ながら、日向さんに恋愛小説を書くイメージがまったくないんですけど、どういった心境の変化ですか? 悪役ばかりやっていた役者さんが、いい人の役を演じたくなるような……そんな感じですか?」
田上が、興味津々の表情で訊ねてきた。
「いえ、私はもともとジャンルを問わない物語を書く小説家になりたいと思っていました。たまたま暗黒小説でデビューしただけで、もしかしたら恋愛小説でデビューしていたかもしれませんでした」
後付けではなく、本当のことだ。
『ヘレンケラー』『フランクリン』『ファーブル昆虫記』『シートン動物記』『怪人二十面相』『シャーロックホームズ』……伝記や児童文学で活字に慣れ親しみ、思春期には恋愛小説を読み漁(あさ)った。
二十歳を過ぎてからはミステリーとハードボイルドと時代小説に嵌り、月に三冊ペースで読破した。
ジャンルを問わない雑食の読書スタイルが、小説家としての日向に影響を与えているのは間違いなかった。
「日向さん、おかしな薬とかやってませんよね?」
「こらっ、やめなさい! お前、日向さんがその気になれば訴訟問題に発展するぞ!」
悪乗りが止まらない大井を叱(しか)る田上に、スタジオが爆笑の渦に巻き込まれた。
日向も思わず噴き出した。
「爆弾小僧」の芸風は好きだし、番組の雰囲気も好きだ。
だが、そろそろ潮時かもしれない。
小説家もタレントと同じで知名度は必要だが、色がつき過ぎてはマイナスになる。
恋愛小説、家族小説、動物小説、歴史小説、ファンタジー小説、漫画原作……これから幅広いジャンルに挑戦していこうと計画している日向にとって、アンダーグラウンドの住人のようなイメージが強くなるのは好ましいことではない。
「こう見えて、ストイックな生活していますから」
日向は本当のことを口にしただけだが、ふたたびスタジオが爆笑の渦に包まれた。
(次回につづく)
日向が準レギュラーとして出演している「サンデーフラッシュ」のMC……「爆弾小僧」の田上(たうえ)が台本通りに話を振った。
「一年はかかっていませんね。十一ヶ月くらいで書き上げたと思います」
日向が言うと、レギュラー陣やゲストのグラビアアイドルが驚きの声を上げた。
「十一ヶ月!? それは凄(すご)いですね!」
田上が眼(め)を丸くした。
「今回の作品は、何人くらいの日向さんで完成させたんですか?」
相方の大井(おおい)が、得意の毒のあるジョークで茶々を入れてきた。
「こらこら、失礼なことを言うんじゃないよ。まるで日向さんに、ゴーストライターがいるみたいな言いかたをするな」
田上が大井を窘(たしな)めた。
日向は苦笑いした。
イジられるのは、いつものことだ。
前回の出演時は、覚醒剤で捕まった女優の話題のときに、日向さんはいつ薬物を抜いてきたんですか? とイジってきた。
だが、ゴーストライターイジリをしてくるのは大井だけではなかった。
月刊誌や週刊誌など、合わせて八本の小説連載を抱え、ハイピッチで作品を量産する日向にはゴーストライターが三人いると、インターネットなどで実(まこと)しやかに囁(ささや)かれていた。
「最新作の『メシア』は、あの悪名(あくみょう)高いカルト教団の『誓(ちか)いの里』をモデルにしたという噂(うわさ)がありますが、本当ですか?」
田上が、ふたたび台本通りの質問をした。
「よくその質問をされるのですが、私は『誓いの里』に関する書物は一ページも読んでません。『メシア』は、まったくの創作です」
本当だった。
カルト教団のリアルな描写に読者の間では、日向は「誓いの里」に潜入取材をしたのではないか? 日向は信者ではないか? と噂が流れるほどだった。
噂はいい宣伝になり、『メシア』は上下巻合わせて九百ページの超大作で、二冊の合計が三千六百円という高額にもかかわらず、発売半年で二十万部を突破していた。
前作の『無間煉獄(むげんれんごく)』に続いて、『メシア』は「与那国屋(よなぐにや)書店」ベストセラーランキングで一位に輝いた。
もちろん、ずっと一位というわけではない。
同時期に発売された名倉さゆりの上下巻『疑似犯人』と、朝丘美織の『きらきら』、この三作品が週ごとに一位を奪い合っていた。
デビュー当時から、日向が追いつけ追い越せと意識し続けてきた風間玲と東郷真一は、新刊を出していないので今回はランキングに入っていなかった。
「『誓いの里』に関する書物は一ページも読んでなくても、マントラは唱(とな)えてますか?」
ふたたび、大井が毒のある茶々を入れてきた。
「だから、もう、そういうこと言うのやめなさいって! 日向さんは見かけが怪しいんだから、視聴者が信じてしまうかもしれないだろ?」
田上は大井を窘めながらも、日向に追いイジリをすることを忘れなかった。
「爆弾小僧」の二人が日向をうまく扱ってくれるおかげで、朝の生放送の情報バラエティ番組にガングロ金髪姿の作家が出演しても、視聴者からの苦情は一切なかった。
『メシア』はデビュー三年目、五作目にして初めて街金融以外をテーマにした作品だ。
『メシア』がベストセラーになったことで、日向は実体験を基にした小説以外は書けない、という一部のアンチを黙らせることができた。
デビューしてからの作品すべてがベストセラー……日向誠の作家人生は順風満帆だった。
だが、日向は現状に満足していなかった。
風間玲も名倉さゆりも東郷真一も、過去に五十万部超えのベストセラー作品を発表している。
日向は前作『無間煉獄』の十八万部が最高だ。
刊行作品が少ないことを理由にしたくはなかった。
長く続けている作家が凄いというわけではない。
長く売れ続けている作家が凄いのだ。
十作、二十作と刊行作が増え続けても、日向が『無間煉獄』や『メシア』以上のヒット作を生み出せるという保証はないのだ。
「日向さん、言える範囲でいいんですけど、次回作の構想はあるんですか?」
田上は遠慮がちに訊ねているが、これも台本通りの質問だ。
日向は楽屋で台本に眼を通したときから、どう答えるか迷っていた。
次作は一年後の三月に、「樹川(きがわ)書店」からの刊行と決まっていた。
ありがたいことに、三年先まで日向の出版スケジュールは決まっていた。
「樹川書店」での出版は決まっていても、なにを書くかはまだ決まっていない。
編集長の池内(いけうち)からは、次の打ち合わせのときに意見を出し合いましょう、と言われていた。
因(ちな)みに、その打ち合わせが今日の午後だ。
日向は、次回作のテーマを決めていた。
恋愛小説。
打ち合わせのときに池内に伝えるつもりだったが、反対されるのは目に見えている。
無理もない。
暴力やセックス、裏切りと金に満ちた闇社会を舞台に、登場するのはろくでなしとひとでなしばかりの暗黒小説で現在の地位を築いた日向の書く恋愛小説など、どの出版社も求めていない。
黒作品ならばベストセラーは約束されたようなものなのに、売れるかどうかわからない白作品でギャンブルを打つ物好きはいないだろう。
ババを引きたくないという気持ちは、どの出版社の編集者も同じだ。
「はい。次は恋愛小説を書くつもりです」
日向はきっぱりと言った。
思い直し、公共の電波で既成事実を作り、押し切る作戦に出た。
もちろん、池内も黙っていないだろう。
だが、大成功の前には激しい逆風が吹くことを、日向は過去の経験で知っていた。
「恋愛小説!? 僕の聞き間違いじゃないですよね?」
田上が、驚いた顔で訊(たず)ねてきた。
演技ではなく、本当に驚いているようだった。
「はい。恋愛小説です」
日向は笑顔で繰り返した。
「失礼ながら、日向さんに恋愛小説を書くイメージがまったくないんですけど、どういった心境の変化ですか? 悪役ばかりやっていた役者さんが、いい人の役を演じたくなるような……そんな感じですか?」
田上が、興味津々の表情で訊ねてきた。
「いえ、私はもともとジャンルを問わない物語を書く小説家になりたいと思っていました。たまたま暗黒小説でデビューしただけで、もしかしたら恋愛小説でデビューしていたかもしれませんでした」
後付けではなく、本当のことだ。
『ヘレンケラー』『フランクリン』『ファーブル昆虫記』『シートン動物記』『怪人二十面相』『シャーロックホームズ』……伝記や児童文学で活字に慣れ親しみ、思春期には恋愛小説を読み漁(あさ)った。
二十歳を過ぎてからはミステリーとハードボイルドと時代小説に嵌り、月に三冊ペースで読破した。
ジャンルを問わない雑食の読書スタイルが、小説家としての日向に影響を与えているのは間違いなかった。
「日向さん、おかしな薬とかやってませんよね?」
「こらっ、やめなさい! お前、日向さんがその気になれば訴訟問題に発展するぞ!」
悪乗りが止まらない大井を叱(しか)る田上に、スタジオが爆笑の渦に巻き込まれた。
日向も思わず噴き出した。
「爆弾小僧」の芸風は好きだし、番組の雰囲気も好きだ。
だが、そろそろ潮時かもしれない。
小説家もタレントと同じで知名度は必要だが、色がつき過ぎてはマイナスになる。
恋愛小説、家族小説、動物小説、歴史小説、ファンタジー小説、漫画原作……これから幅広いジャンルに挑戦していこうと計画している日向にとって、アンダーグラウンドの住人のようなイメージが強くなるのは好ましいことではない。
「こう見えて、ストイックな生活していますから」
日向は本当のことを口にしただけだが、ふたたびスタジオが爆笑の渦に包まれた。
(次回につづく)