読み手自身の不道徳と向き合わされる読書体験/『美術泥棒』

文字数 1,370文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は高橋ユキさんがとっておきのエッセイ・ノンフィクションをご紹介!

高橋ユキさんが今回おススメするエッセイ・ノンフィクションは――

マイケル・フィンケル著『美術泥棒』

です!

 怪盗ルパン、おしゃれ泥棒、ねずみ小僧次郎吉……物語において『盗み』は、鉄板の人気ジャンルだ。もちろん我々の多くは盗みと無縁の生活を送っていることだろう。にもかかわらず物語では、難攻不落なミッションを完遂するさまにハラハラし、爽快感を覚える。物語だから、盗人に感情移入したとしてもそこに罪悪感はない。


 いっぽう、その盗みが実際に起きた出来事であればどうか。被害に遭った側に感情移入し、盗みを働いた側に対しては眉をひそめる……それが正しい受け止め方であるはずだ。だが本書を読んだ際、まるで作られた物語を読んだときのようにハラハラしてしまう自分がいた。読者がその内面にある不道徳さと向き合わなければならなくなるという点でも特別な書籍であることは間違いない。


 東フランスに住むステファヌ・ブライトヴィーザーは若くして、恋人のアンヌ゠カトリーヌとともに、美術品の窃盗に手を染めた。緻密な計画を練るわけでもなく、特殊な道具を使うわけでもない。お洒落をして美術館を訪れ、鑑賞客として入場する。カトリーヌが何気ない素振りで見張りをするなか、ブライトヴィーザーはスイス製のアーミー・ナイフ一本で、美術品が納められているケースのシリコンを切り、いくつものネジを外す。そして手にした美術品を服やバッグの中に隠し、何食わぬ顔をして美術館を出て行くのだ。


“戦利品”は売るわけではない。ブライトヴィーザーが母親と住む質素な三角屋根の家の屋根裏部屋に展示される。二人は欧州の美術館や博物館から盗みに盗んで、屋根裏部屋を盗品でいっぱいにした。何を盗むかを決めるのはブライトヴィーザー。彼は〈いちばん心を動かされた作品だけを盗み、美術館のもっとも高価な作品には手を出していないことが多い〉。自分なりの審美眼で美術品を見極めていた彼は、盗むことへの罪悪感がない。〈美術館が芸術作品にとって本当の監獄だからだ〉と持論を展開する。


 愛する美術品に囲まれた暮らしはブライトヴィーザーの逮捕で終わりを迎えた。カトリーヌは彼の盗み方がいつしか「汚くて、気違いじみた」ものになったと述懐する。〈世界でもっとも高価な廃品置き場〉と化した屋根裏部屋の美術品がどうなったかは、ぜひ本書を読んでいただきたい。本書冒頭には盗んだ美術品の一部がカラーで掲載されている。結末まで読み、カラーページを見返すと、彼の罪深さを思い知る。


 こだわりと目的を持った盗みの始まりだったはずだが、ブライトヴィーザーはその後売るための盗みを繰り返している。

この書評は「小説現代」2023年12月号に掲載されました。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)

1974年生まれ。女性の裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。『あなたが猟奇殺人犯を裁く日』などを出版。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『暴走老人・犯罪劇場』『つけびの村』『逃げるが勝ち』。

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