想いを伝えられない将軍に仕えた忠臣の物語/『まいまいつぶろ』

文字数 1,298文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は柳亭小痴楽さんがとっておきの時代小説をご紹介!

柳亭小痴楽さんが今回おススメする時代小説は――

村木嵐著『まいまいつぶろ』

です!

 生まれながらに身体の麻痺のため言葉が不明瞭で、廃嫡が危ぶまれ、幕閣の中でも家臣から蔑まれていた九代将軍・徳川家重(幼名・長福丸)。誰にも心中を伝えられない中、ただ一人家重の言葉を聞き取ることのできる少年・兵庫(後の大岡忠光)が現れた。しかし、兵庫を側に置くことは、八代将軍吉宗が改めた側用人制復活となりうるため、兵庫は幕閣の家臣たちから訝しみの目を向けられることとなる。


 己の保身、栄達を捨て、ただただ家重を慮る生涯を貫く決意をする兵庫。兵庫は逆境の中でも、おじに当たる大岡越前守忠相に授けられた言葉「そなたは決して、長福丸様の目と耳になってはならぬ(中略)長福丸様は、目も耳もお持ちである。そなたはただ、長福丸様の御口代わりだけを務めねばならぬ」、そして、家重が進講を受けている儒学者・室鳩巣から受けた助言「それが積もり積もれば、それがしを若君様の許から遠ざける因になる」ため、「それがしはこれから先、洟紙一枚たりとも人に貰うてはならぬ」、それらの言葉を貫き通していく。


 家重の言葉が分かるなど有り得ないと訝しまれながらも、気持ちを伝えられない家重を他の誰よりも想う兵庫に周囲も心を打たれ、また口代わりだけに徹したおかげで本来の家重が持つ聡明さ、そして誰よりも人の気持ちを考えることのできる優しさが表れていく。


 私も十六歳という思春期の時分に父が倒れ、その後四年間に亘り母や兄と半身不随の父の介護生活が続いた。私は修業中だったため、介護などという大それたことは何もできていない。支える側の気持ちを言えた義理ではないが、支えられる側の父の、頭はしっかりしていた分、想いを伝えられない、伝わらないもどかしさや悔しさを目の当たりにしていた。障害を抱えた人の気持ち、ツラさは私にはまだ計り知ることができない。何度父が「もう死にたい、殺してくれ」と家族に訴えてきたことか。


 だからこそ、そんな大変な思いを生まれながらにしていた家重に、自分から「将軍を目指してもよいか」と前を向かせた兵庫、忠音、比宮の信じる力の偉大さが身にしみる。


 古典落語「松山鏡」という噺には、まだ鏡が市井に出回っていなかった時代、亡くなっている父にひと目会いたいという親孝行な息子が、お奉行様から鏡を授かり「子は親に 似たるものをぞ 亡き人の 恋しき時は 鏡をぞ見よ」という詩を賜る。まさにこの物語の結末にも通じる言葉に感じられた。

この書評は「小説現代」2023年11月号に掲載されました。

柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)

落語家。1988年東京都生まれ。2005年入門。09年、二ツ目昇進を機に「三代目柳亭小痴楽」を襲名。19年9月下席より真打昇進。切れ味のある古典落語を中心に落語ブームを牽引する。

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