どこまで壊れたら自分は自分ではなくなるのか?/『君の地球が平らになりますように』

文字数 1,372文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は吉田大助さんがとっておきの青春・恋愛小説をご紹介!

吉田大助さんが今回おススメする青春・恋愛小説は――

斜線堂有紀『君の地球が平らになりますように』

です!

 英米では初恋のことをファースト・ラブではなくファースト・クラッシュ(crush)と表現する、と教えてくれたのは山田詠美の恋愛小説だった。その一語が喚起するのは、淡く甘酸っぱい香りではない。それまでの人生で培ってきた価値観や信念がぶち壊され、地獄に落とされるような感触だ。


 普段はSF・ミステリのシーンで活躍する斜線堂有紀の『君の地球が平らになりますように』は、『愛じゃないならこれは何』に続く恋愛小説集第二弾に当たる。まさにファースト・クラッシュと呼ぶほかない恋愛が全五編収録されている。


 一回三千円の握手会で「ガチ恋」営業に定評のある地下アイドルが、リアルな恋愛で感じる苛立ち。向こうから絶対に別れを切り出さないことは信じられるものの、絶対に結婚はしてくれない彼氏との八年あまりの交際に悩む女性の究極の選択……。当初はときめきや安定を求めてスタートした恋愛であるにもかかわらず、自分ばかりか相手もまたぶち壊れることを望み始める関係性は、痛々しくも面白い。コミック・ノベルの側面もある。


 白眉の一編はやはり表題作だ。自他共に認める「冴えない女」待﨑小町は、大学のボランティアサークルの同期で「真面目な好青年」東壱船に恋をする。飲み会で聞こえてきた、東の発言に鋭く反応する冒頭の場面が象徴的だ。どういう女の子が好み? 「食べ方が綺麗な人かな」。その刹那──〈途端に、小町は自分の皿に盛られたサラダが恐ろしくなる。(中略)東はこのサラダをどう食べるのを正解だと見做すだろうか〉。これまでの人生で培ってきた自分の中の「正解」が雲散霧消し、相手の価値判断に全て委ねざるを得なくなる。クラッシュだ。


 結局、東はサークル内でお似合いの恋人を見つけ、それから五年後。社会人となった小町はサークルの同窓会で、東と再会する。東は外国産の食料品には毒が含まれており水道水も危険、と怪しいデータを掲げて主張する陰謀論者になっていた。周囲は引きまくるなか、小町は理解あるフリをして東に近付く。〈彼の信じているものを信じてあげるだけで〉、東にとって特別な存在になれたのだ。見事恋人となり同棲へと至り……「だけ」を死守することが困難となる出来事が発生する。


 恋心は自分を壊す。では、どこまで壊れたら自分は自分ではなくなるのかとこの一編は問う。と同時に、自分のもろさとは反対に、他者の内面はなかなか壊せないものであると突き付ける。その問いや真実を我が身に宿すために、人は恋愛をする。斜線堂有紀の恋愛小説を読むのだ。

この書評は「小説現代」2023年1月号に掲載されました。

吉田大助(よしだ・だいすけ)

1977年生まれ。「ダ・ヴィンチ」「STORY BOX」「小説 野性時代」「週刊文春WOMAN」など、雑誌メディアを中心に書評や作家インタビューを行う。Twitter @readabookreview で書評情報を発信。

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