芝居者たちが成し遂げた大人情劇!/『木挽町のあだ討ち』

文字数 1,286文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は柳亭小痴楽さんがとっておきの時代小説をご紹介!

柳亭小痴楽さんが今回おススメする時代小説は――

永井紗耶子著『木挽町のあだ討ち』

です!

 とある年の睦月の晦日、木挽町にある芝居小屋、森田座の裏手で仇討ちが起こる。亡き父の仇を討ったのは、赤い振袖を被いた菊之助という若衆だった。


 見事な仇討ちを果たしたその二年後、森田座へ菊之助とは縁者だという一人の若侍がやってきて、芝居小屋にいる菊之助と縁のあった人物に仇討ちの顚末と共に、それぞれの来し方をも尋ねて回る。この聞き手を担う若侍は、読み手である私たちが投影された人物であり、物語は各人物の一人語りで進んでいく。


 芝居小屋裏で起きた仇討ちらしく、物語は芝居のように幕で繫がれていくのだが、特に木戸芸者の口上仕立ての書き出しには惹き付けられ、これから始まる物語への期待感が高まった。はじめの語り手はその木戸芸者であり、吉原生まれ吉原育ちの元幇間(太鼓持ち)の一八。お次は、元は武士である立師の与三郎。さらに孤児になり隠亡で食いつないできた女形・二代目芳澤ほたる、無口な小道具職人・久蔵とその内儀・お与根。そして、元旗本で戯作者の篠田金治……。


 語り手が替わるたび、次第に菊之助の仇討ちの真相に近づいていくのだが、それ以上に一幕一幕で感じ入ったのは、各人から語り聞かされる生まれ育ち、生き方といった、それぞれに違った人生だ。人はどうしても自分のいる場所ばかり見て、世界が狭くなってしまうものだが、その中でも、当時、武士には武士の道・忠義という大変な縛り付けがあり、菊之助もまた、厳しい掟に揺り動かされていたのだった。


 何が正しいのか? 何が正義か? 忠義とは何なのか?


 考え悩む一人の若衆が、芝居小屋で出会う人たちのお世話になり、皆それぞれ持っている過去、筋や想い、その人生の中で生まれた了見や人情に触れていく。


 特に厳しい差別があったこの時代。この差別というものは、時代が変われど今でも少なからず誰もがやってしまっている。人を軽く見たり無意識に他人を蔑んでしまったり……それらを抱えながらも、どうにか生きてきた庶民の皆が、時に武士として、時に人としての在り方を学ばせてくれた。皆が彼のために“自分なら”を考えて動いてくれる。皆も昔は自分のことで精一杯だった。だからこそ彼の気持ちが分かる人たちが人に出会う大切さ、「人のために」とはどういうことかを教えてくれる。


 素晴らしい仇討ちの裏にある大人情劇! 芝居者たちによって成し遂げられた本物の人情芝居でした。

この書評は「小説現代」2023年8月9月合併号に掲載されました。

柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)

落語家。1988年東京都生まれ。2005年入門。09年、二ツ目昇進を機に「三代目柳亭小痴楽」を襲名。19年9月下席より真打昇進。切れ味のある古典落語を中心に落語ブームを牽引する。

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