自分のままで息ができる場所を探して/『Blue』

文字数 1,372文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は三宅香帆さんがとっておきの青春・恋愛小説をご紹介!

三宅香帆さんが今回おススメする青春・恋愛小説は――

川野芽生著『Blue』

です!

「陸が好きという気持ちだけで陸に上がれたらいいよね ここでは生きていけない息ができないから出ていくしかないのではなくてさ 陸に上がってもなお足の裏を針で刺されるような痛みを感じ続けるのではなくてさ」


 そうSNSでつぶやくのは、主人公の真砂だ。自認する性別と身体の性別が異なるトランスジェンダーである真砂は、男の子の身体であることを手放し、女の子として生きようと思っている。男の子の少ない学校に入学し、演劇部で『人魚姫』をオマージュした『姫と人魚姫』を上演することになった時、真砂はヒロインの人魚姫を演じる。それは自分なりに、女の子として生きることを周囲に認めさせようとした行為だった。──だが大学生になった真砂たちを、パンデミックが襲う。性別適合手術を受けようと思っていたのに、「不要不急」の医療行為はストップしてしまうのだ。真砂はいつしか女の子として生きることをやめ、「眞靑」という名で生きることを選択するが、ある女性に出会ってしまうのだった。


 高校生から大学生という多感な時期をパンデミックが襲った動揺、そして社会でマイノリティとして生きることの居心地の悪さを丁寧に本作は描く。そしてそこにあるのは、ただ好きな人に好きだと伝えたいということや、自分がここなら息ができると思えるような場所を見つけたいという、普遍的な願いそのものである。


 眞靑は、人魚姫の物語について、「人魚姫が海でも陸でもしんどさを抱えている」ことに言及する。つまり作中において、「恋のために陸に上がったが、かわりに声をうしなった人魚姫」とは、「恋のために性別を変えようとするが、結婚はできない人間」の比喩として描かれる。社会に認められる「恋」には制限があり、そして声を喪う痛みを伴う。そのような物語として『姫と人魚姫』は上演される。人魚姫が人魚として生きてきただけで、恋をするにも日常を送るにも苦しみを抱えてしまう。そしていうまでもなく眞靑にとって世界とはそのような場所なのだ。男女という二分される性別のどちらかに属さないと生きづらい社会で、人魚姫は苦しむばかりである。


 どうすれば眞靑は息ができて、なおかつ足の裏がいたくならないような場所を見つけられるのだろう。それにはきっと、社会の変容が必要だ。眞靑は演劇を通して言葉が通じる友人の存在を知る。私たちは小説を通して眞靑の歌を聴く。その繰り返しの先にしか、人魚姫の生きやすい社会はないのではないかと、読者のひとりとしては思うのだ。

この書評は「小説現代」2024年3月号に掲載されました。

三宅香帆(みやけ・かほ)

1994年生まれ。『人生を狂わす名著50』で鮮烈な書評家スタートを切る。著書に『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』『女の子の謎を解く』など。近著に『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術』。編著に『私たちの金曜日』がある。

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