姿は見えず、真実は見える/『不実在探偵の推理』

文字数 1,325文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は青戸しのさんがとっておきのミステリーをご紹介!

青戸しのさんが今回おススメするミステリーは――

井上悠宇『不実在探偵の推理』

です!

 窓の外で風鈴が鳴った。三十度を超えなければ夏を好きになれるのに。昔から暑さに勝てる気がしなかった私は、夏休みの殆どを室内で過ごした。遊びに来た友人と過ごす時は決まってスマブラに明け暮れたが、試合中に出題される水平思考クイズに夢中になって、勝てた記憶があまり無い。単純にソニックが弱かっただけかもしれない。


 水平思考クイズとは出題者が読み上げる不可解な物語に対し、「はい」「いいえ」「関係ありません」のいずれかで答えられる質問をくり返すことで得られた情報から、真相を解き明かしていく推理ゲームだ。灰色の脳細胞がなくても探偵気分を味わえる最高の暇潰しだった。


『不実在探偵の推理』には、タイトルの通り探偵は実在しない。幼少期から空飛ぶクラゲや馬人間など、他人には見えないものが見えていた大学生の菊理現がある日ダイスに触れると、美しい女性が現れた。彼女は現にしか認識できない。しかし間違いなく名探偵である。


 出目で「ハイ」「イイエ」「ワカラナイ」「関係ナイ」と答えるダイスに質問を重ね、現の伯父で刑事の百鬼と、その同僚刑事の烏丸と共に事件の謎を解いていく。そう、本作は水平思考クイズを基盤に作られたミステリ小説だ。


 まず設定が面白い。子供の頃の私が顔を出して喜んでいる。しかし大人になった今の私はどうだ。成長過程で数え切れないほどのミステリ小説を読み漁ってきた。今更、数を打てば答えにたどり着ける謎解きなど楽しめるだろうか。


 結論から言うと、恥ずかしいくらい楽しめた。


 作品に対して面白い、秀逸だと思うことはあっても、初めてミステリ小説を読んだ時のような“楽しさ”を実感したのは本当に久しぶりだ。魅力的なキャラ設定も理由の一つだろうが、そもそも水平思考クイズはとても意地悪なゲームだ。シンプルに見えた謎が質問を重ねる毎に複雑化していく。“事実”は分かっても“真実”に辿り着くのが難しい。謎解き要素だけ取っても十分に楽しめた。


 ホワイダニットをここまで突き詰めた作品も珍しい。フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットの中で私はホワイダニットが一番好きだ。事件を起こした人間の真実を私は知りたい。真夏に外に出ようとも、誰と出会おうとも、きっとこの先の人生で体験することの無い、物語の中でしか知り得ない感情が隠れているから。


 不実在探偵。彼女の感情や思考は私達には分からない。けれどエピローグまで読んだ誰もが、イエスorノーで答える美しきアリス・シュレディンガーを求め、好きになるだろう。

この書評は「小説現代」2023年10月号に掲載されました。

青戸しの(あおと・しの)

モデルや女優を中心に多方面で活躍中。MVに出演し、ヒロイン役を務めるなど活動の幅を広げている。

インスタグラム/X(旧Twitter):@aotoshino_02

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色