ドローンを操り内なる敵と闘う冒険小説/『アリアドネの声』

文字数 1,349文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は若林踏さんがとっておきのミステリーをご紹介!

若林踏さんが今回おススメするミステリーは――

井上真偽著『アリアドネの声』

です!

 幾多の試練を乗り越え、己に打ち克つ。井上真偽『アリアドネの声』は内なる敵との闘いを描いた冒険小説である。


 物語の舞台となるのは「WANOKUNI」と呼ばれる、国土交通省と民間企業が共同で開発した都市だ。「WANOKUNI」は最新のIT技術の粋を集めて作られた所謂スマートシティと呼ばれる実験都市で、「障がい者支援」を特徴の一つとして大きく掲げていた。だが「WANOKUNI」のオープニングセレモニー当日に大地震が発生し、中川博美という女性が地下空間に取り残されてしまう。中川博美は「見えない・聞こえない・話せない」という三つの障がいを抱えており、自力で危険地帯を抜けることが出来ない。おまけに現場は崩落と浸水で救助隊が向かえる状態になく、六時間後には安全地帯への経路も絶たれることが判明する。絶望的な状況下で下された決断は、最新鋭のドローンを使って中川博美を誘導するというものだった。災害救助用ドローン専門の会社員であるハルオはドローンの操縦を託され、困難なミッションに挑む。


 物や人をA地点からB地点まで障害を突破しながら送り届ける、という冒険小説の骨法に則った正攻法のスリラーである。このプロットはシンプル故に、如何に登場人物や舞台設定に枷を付けて物語を盛り上げるのか、という部分で作家の力量が問われるのだ。その点、本作は素晴らしい。作中のあらゆる要素を掛け合わせて困難な状況を生み出し、主人公達がどうすればその困難を乗り越えることが出来るのか、というスリルが尽きないのだ。


 本作が冒険小説として優れている点がもう一つある。主人公であるハルオの人物造形だ。ハルオは幼い頃に兄を事故で亡くしており、その事がきっかけで災害救助ドローンの会社に就職した。「無理だと思ったら、そこが限界だしな」という亡き兄の言葉を胸に刻みながら生きるハルオだが、同時にその言葉はハルオを縛る鎖にも見えるのだ。絶体絶命の状況の中で、主人公が何を感じ、変化を遂げるのかという点も本作の大きな主題の一つだ。例えばディック・フランシスの〈競馬〉シリーズなど、冒険小説と呼ばれるジャンルにおいては怯懦との闘いを物語の主眼においたものが数多く書かれている。『アリアドネの声』もまさしく、その精神を受け継いだものだろう。他者を救うためには自分との闘いを制しなければならず、そのために捨て身の努力が求められることがある。そんな真っすぐな心が『アリアドネの声』という小説には込められている。

この書評は「小説現代」2023年8月9月合併号に掲載されました。

若林踏(わかばやし・ふみ)

1986年生まれ。ミステリ小説の書評・研究を中心に活動するライター。「ミステリマガジン」海外ミステリ書評担当。「週刊新潮」文庫書評担当。『この作家この10冊』(本の雑誌社)などに寄稿。近著に『新世代ミステリ作家探訪』(光文社)。

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