少女暗殺者と小心な青年 二人の儚い幕末物語/『もゆる椿』
文字数 1,325文字
そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!
今回は柳亭小痴楽さんがとっておきの時代小説をご紹介!
俸禄五百石ほどの小禄旗本の次男坊として生まれた真木誠二郎。道場剣一筋で小野派一刀流宗方道場の目録持ちではあるが……泰平の時代、未だ真剣を抜いたことはない。ばかりか自分の指から流れた血を見ただけで倒れそうになってしまうほどの小心ぶり。そんな男がある日突然、尊王攘夷派の黒幕を誅殺するため江戸から京まで刺客のお供をするという、幕府裏目付のお役目を得る。
穀潰しの人生から幕府の支えになれると、いざ品川の宿で刺客を待っていたが、なんとそこへやって来たのは、齢十二歳ほどのお美津だった。この少女こそ殺生を生業となす里に身を潜めていた刺客である。食いしん坊で床に就けば腕枕をせがむようなあどけなさが残るこんな年端も行かない少女が刺客とは、と心許なく思っていたが、そこは里で育った刺客である。その場慣れたるや、誅殺のための江戸から京までの長い道のりとは思えず、またお美津の余裕とも言える自然体が、読み手であるこちらの緊張感を薄れさせる。それと、あべこべに人に対して剣を向けたこともない誠二郎から窺える緊張感の対比が面白い。道中、落ちぶれた浪人者や無頼者に襲われ、その都度お美津に助けられる誠二郎の心の中には〝なぜこのような女の子が里に身を沈める事になったのか?〟〝お美津の秘められた本懐とは?〟というものが常にある。
──殺生という生業は、その者の命を蝕む。
どんな境遇、生い立ちにしろ、お美津は人を殺めるたびに自らの命を削っていく。
そんなお美津に対して、一人の女性として、彼女の境遇を慮る誠二郎の優しさ。そしてお美津はお美津で誠二郎のその優しさの中に自信や強さが足されるようにと真剣の指南を始めていく。男女のようで兄妹のようである息の合った二人。
途中、二人の密命が漏れ始め、身内でも安心ができなくなっていく中、やがて二人は京へと上り着く。そこで待っていた仇討ちというお美津の本懐と裏切り。仇討ちを前に引き裂かれた二人の仲。
勤皇派、佐幕派と各々の想いはあっても、誰一人お美津個人を想う人はなかった。そんな中で誠二郎ただ一人が変わらぬ想いを秘めたまま仁義なき戦いに挑んでいく。
日本語には同じ意味でもニュアンスが異なる言葉が沢山あってややこしいと外国の方や子供によく言われる。例えば今作で挙げると『拙者』と『俺』や『そなた』と『お前』、この代名詞が段々と変わっていく事によって感じられる二人の思いやりや距離感の心地良さが、最後の最後まで胸の奥に残る物語だった。
この書評は「小説現代」2024年1,2月合併号に掲載されました。
柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)
落語家。1988年東京都生まれ。2005年入門。09年、二ツ目昇進を機に「三代目柳亭小痴楽」を襲名。19年9月下席より真打昇進。切れ味のある古典落語を中心に落語ブームを牽引する。