シンプルで美しい推理に見惚れる/『あらゆる薔薇のために』

文字数 1,329文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は若林踏さんがとっておきのミステリーをご紹介!

若林踏さんが今回おススメするミステリーは――

潮谷験著『あらゆる薔薇のために』

です!

 物語が奇妙に膨張していく。潮谷験『あらゆる薔薇のために』を読みながら、そんな感覚に囚われた。


 本書は第六十三回メフィスト賞を受賞し、二〇二一年に『スイッチ 悪意の実験』でデビューした著者の第四長編である。物語の鍵となるのは“オスロ昏睡病”という架空の病気だ。これは幼少期に限って発症する難病で、罹ると完全な昏睡状態に陥った後、目覚めた時に以前の記憶を一切持ち合わせていない状態になる。治療法の確立に数十年を要すると言われていた病気だが、その予測を断ち切る出来事が起きる。開本周大という医学博士が特効薬を開発し、患者の意識を取り戻せるようになったのだ。しかしこの治療法には、快復した患者の表皮に薔薇に似た腫瘍が現れる不思議な副作用があった。


 主人公である京都府警の八嶋要警部補も“オスロ昏睡病”の治療によって、後頭部に腫瘍が残った人物だ。八嶋は部下の阿城はづみとともに、“オスロ昏睡病”患者とその家族らの交流の場である「はなの会」を訪れる。昏睡病治療の功労者である開本博士と、元患者の高校生が立て続けに殺害される事件が発生し、その手がかりを摑むために「はなの会」に探りを入れることになったのだ。


 現実にはない奇病が絡む事件に刑事が挑む、という部分を読む限りでは、特殊な設定を使いつつ直線的な警察捜査もののプロットで読ませる作品のような印象を抱くだろう。ところが第二章に入ると、物語は思わぬ方向へと転調を見せる。詳しくは書かないが、殺人事件とは別の謎が浮かんでくるのだ。しかも、その謎はどんどんと膨れ上がり、作品全体をすっぽりと納め込むまでに変化する。謎が絶えず成長していくことで、物語に停滞する感じが微塵もないところが良い。


 潮谷作品が優れているのは、そうして物語を転がしながらも、地に足の着いた謎解き小説を書こうとする姿勢が全くぶれないところにある。タイムリープものの要素を取り入れた第二作『時空犯』で著者は中盤、途方もない規模まで話を広げておきながら、緻密で堅実な謎解きを披露してみせた。それは本書でも同じだ。今回はロジックの積み重ねによる真相の絞り込みがシンプルで美しい。加えて、その過程に意外性をもたらす為の面白い工夫も盛り込まれているのだ。ミステリにおけるサプライズとは突拍子もないアイディアを生むことだけでは無い。読者の盲点を作り出す技巧を凝らすことも大切なのだと、改めて潮谷験に教えてもらった気がした。

この書評は「小説現代」2022年11月号に掲載されました。

若林踏(わかばやし・ふみ)

1986年生まれ。ミステリ小説の書評・研究を中心に活動するライター。「ミステリマガジン」海外ミステリ書評担当。「週刊新潮」文庫書評担当。『この作家この10冊』(本の雑誌社)などに寄稿。近著に『新世代ミステリ作家探訪』(光文社)。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色