死刑制度について考える契機になる好著/『死刑について』

文字数 1,377文字

どんな本を読もうかな――。

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今回は内藤麻里子さんがとっておきのエッセイ・ノンフィクションをご紹介!

内藤麻里子さんが今回おススメするエッセイ・ノンフィクションは――

平野啓一郎著『死刑について』

です!

 今まで死刑制度の是非について、じっくり考えたことはなかった。漠然と容認していた。


 作家、平野啓一郎も以前はどちらかというと死刑を必要と考える「存置派」だった。後に「廃止派」になり、存置派だった頃のことを「心情的な側面が大きかった」と看破し、早くに病で父を亡くした影響も明かしている。なるほど、私たちはまずは自分の経験からしか物事を判断できない。私も被害者や遺族に同情し、加害者への怒りから罪を償う方策は死刑しかないと感じていたにすぎない。


 ところが平野はヨーロッパの作家やアーティストたちと交流する中で、ある違和感を抱く。なぜならEU(欧州連合)は既に死刑を廃止していて、彼らは死刑に反対していたからだ。死刑以外の思想には全面的に共鳴していたにもかかわらず、この違いは何だろう。一方、日本で死刑を強く支持する人々とは死刑以外の意見がなかなか合わない。このねじれに気づいたことが転機の一つとなった。


 一九九〇年代後半から、国内の若者たちは「なぜ人を殺してはいけないのか」と問うていた。二〇〇八年、この問いに対峙して、兄が弟殺しを疑われる事件を描いた『決壊』を世に送り出した。冤罪の構造、子供の成育環境の不備など、取材を重ねて多くの問題点を掘り下げた。そして先の問いを突き詰めて小説を書き終えてみれば、死刑制度に「嫌気がさし」た自分がいて、反対を明言していた。


 この前段に続き反対する理由を述べ、廃止派への反論に答え、日本で死刑が支持され続ける理由を考えていく。その語り口は率直で、虚心坦懐に読むことができた。根底にあるのは、「人を殺してはいけない」ということは例外のない絶対的規範であるという考えだ。


 犯罪抑止力の有無や、死刑という更生方法の是非など論点がいくつも登場し、死刑制度を考える視野が広がる。海外の事例が紹介されるのも考え方の枠を外してくれた。死刑を廃止した国の以前の国民の死刑支持率と、廃止実現の過程は、多くの示唆を含む。


「被害者の気持ちを考えたことがあるのか」という非難に対する答えからは、被害者支援の問題点が浮き彫りになる。死刑が支持され続ける理由からは、日本という国の姿があらわになる。平野はしきりにある教育の失敗を挙げる。さらに宗教や武士道といった文化論から、格差社会の中で自己責任論が強まった時代性にまで切り込んでいく。そこには人々に対して優しくない社会と国家がある。死刑について考えることは、どういう国にしたいかの問題につながっていたのだ。


 死刑制度は経験則だけで判断できるものではない。本書は考える第一歩として、簡にして要を得た一冊。まず手に取るべきだ。

この書評は「小説現代」2022年9月号に掲載されました。

内藤麻里子(ないとう・まりこ)

1959年生まれ。毎日新聞の名物記者として長年活躍。書評を始めとして様々な記事を手がける。定年退職後フリーランス書評家に。

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