訳知り顔の賢さではなく愚かさによって人は変わる/

文字数 1,359文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は吉田大助さんがとっておきの青春・恋愛小説をご紹介!

吉田大助さんが今回おススメする青春・恋愛小説は――

小泉綾子『無敵の犬の夜』

です!

 自由には、愚かである自由も含まれている。たとえ他人からその行為は愚かであると非難されようとも、断行する権利がある。ジョン・スチュアート・ミルは著書『自由論』で、その自由に愚行権という名前を与えた。純文学では佐藤究の『幽玄F』や市川沙央の『ハンチバック』、エンターテインメントでは凪良ゆうの『汝、星のごとく』など、令和の文芸界は愚行権を主題に据えた作品が思いのほか多い。ネットリンチに象徴される今の時代は、他人の愚かさを見つけては集団で叩きに叩く。明白な罪は償われるべきだとしても、愚かさそのものを根絶しようとする振る舞いは行き過ぎではないか。愚かさには、ポジティブであれネガティブであれ何らかの価値があるのではないのか? 文学は、その可能性に関わる。


 第六〇回文藝賞受賞作『無敵の犬の夜』(小泉綾子)の主人公である中学生の五島界は、北九州の「ド田舎」で祖母と妹とともに暮らしている。界は幼い頃に事故で右手の小指を全部、薬指を半分失った。「お前は普通にはなれない」。どこからか──実は自分の中から──聞こえてくる声に負けて、学校にも行かず、ファミレスで不良たちとたむろする日々。そんなある日、高校生の橘さんと出会い、おしゃれで「バリ恰好いい」言動の数々に心酔する。


 橘さんは界に対して「お前、このままでいいん?」と告げる。「デカい夢」を持てよ、と。界が「考えたことないっす」と言うと、「マジかよ。夢がなかったら、このド田舎から抜け出せんくね? やりたいことがあるけん、それを原動力にしてさ、頑張って外の世界に出ようってなるわけやん」と答える。当初は、立派なメンターとして振る舞っていたのだ。ところが、橘さんは「東京にはさ、可能性を感じるんよね」とうそぶいて東京と地元を行き来するようになり、有名ラッパーのリルサグの女に手を出したことから命を狙われていると主張し出して……橘さんのために、界は破壊的行動に打って出る。


 後半以降は、愚かさのオンパレードだ。保育園からの幼馴染であり(期間限定の)恋人でもある田中杏奈からそのことを指摘されても、界の決意は揺るがない。その先に現れるものが、分かりやすい希望などであるはずがない。しかし、愚かさを突き進んでいったからこそ、界は「外の世界」に出ることができたのも事実なのだ。


 界が経験したイニシエーションは、読み手にとってのイニシエーションでもある。訳知り顔の賢さではなく、愚かさによってこそ人は変わる。そう思えばきっと、何かが変わる。

この書評は「小説現代」202年1,2月合併号に掲載されました。

吉田大助(よしだ・だいすけ)

1977年生まれ。「ダ・ヴィンチ」「STORY BOX」「小説 野性時代」「週刊文春WOMAN」など、雑誌メディアを中心に書評や作家インタビューを行う。Twitter @readabookreview で書評情報を発信。

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