小説はどのように色を描く? 芸術の秋 読むべき美術小説五選

文字数 4,384文字

超本読み大学生として話題沸騰中のあわいゆきさんが、この秋読むべき「美術がテーマの小説」五作品を厳選&紹介してくれました!

「芸術の秋」ときくと、色鮮やかな光景を思い浮かべるひとも多いのではないでしょうか?


 実際、芸術作品は私たちの生活に〈色〉を与えるものです。そしてその〈色〉は、作品を紡ぎ上げる芸術家たちの筆致にも宿っています。


 しかし、黒のインクで本文を紡いでいく小説は、表紙などの装丁を除けば、色自体を正確に見せることができません。それでは小説は文章によって芸術を写し取るとき、どのようにして〈色〉を描こうとするのか。今回は芸術にまつわる五作品を紹介しながら、それを探っていこうと思います。

 まずは著名な芸術家の筆致に宿る〈色〉について触れていきます。たとえば原田マハさんの『リボルバー』に登場するゴッホを象徴するカラーは、カバーにもなっている油彩画『ひまわり』の「黄色」でしょう。物語はパリのオークション会社に勤め、ゴッホとゴーギャンの研究もしている高遠冴のもとに、一丁のリボルバーが持ち込まれるところから始まります。すでに錆びついてしまっているそれは、依頼人によると、ゴッホが自殺をしたときに使用したものらしい。鑑定を任された冴は真贋を見極めるべく、共同生活を送った二人の謎を研究者として「推理」していきます。


 ここで行われる「推理」、現代に残る文献や史料を基にした行動分析は、史実に対して忠実であろうとするものです。しかし、本作ではそこにフィクションと判断のつかない血縁者の語りを交えさせて、最終的にはゴーギャン本人の語りまで遡っていきます。これによって浮かび上がってくるのは、「推理」では導き出せないゴッホとゴーギャンの「物語」です。冴は感傷が「推理」に不要とわかっていながらも、語りの連鎖で見えてくる二人の生きざまに心を揺さぶられます。これは小説ならではの試みでしょう。小説は既存の芸術作品に対してどう〈色〉をつけられるか──もちろん緻密な描写による再現も肝要ですが、なによりも新たな〈色〉を灯すのは、史実からは見えてこない「物語」を創り出す営み自体に他なりません。


 ゴッホとゴーギャンはどちらが黄色い「ひまわり」(≒太陽のおっかけ)だったのか、あるいはどちらとも、そうであったのか。小説だからこそのアプローチを施しながら、『リボルバー』は二人の関係性を描き上げて彼らの宿す「黄色」を新たに示します。

 一方、まだ自らの〈色〉を摑み取れていない芸術家も世界には存在します。実石沙枝子さんの『きみが忘れた世界のおわり』は、「描きたいもの」を失った男の子が主役でした。絵画の天才と称される木田蒼介は、チェロの天才で幼馴染の河井明音を交通事故で喪い、ショックで自らの記憶を封じ込めています。それから小手先のテクニックで評価される作品ばかり描いていた蒼介は、教授に「芸術や自分自身への誠実さ」を説かれ、忘れてしまった明音を卒業制作で描こうと決意しました。そして周囲に明音の過去を聞いて回るうちに、明音と瓜二つの「アカネ」が蒼介の前に幻覚として現れるようになります。王道ともいえる物語進行ですが、面白いのはその語り。この作品では蒼介自身の視点ではなく、すでに死んだ明音が蒼介とアカネの会話を見守りながら、卒業制作に向き合う蒼介に人知れず語りかける形で進行していくのです。


 そんな死者視点の二人称を用いた本作ですが、はたしてこの小説的試みはなにを浮き彫りにするのでしょう? それは虚構による〈解釈〉と現実による〈真実〉のずれです。語り手の明音からすればアカネという幻覚は、蒼介が他人の勝手な言葉を理解し、解釈して作り上げた偽者でしかありません。それを描いたところで、立ち現れるのは「明音」ではない。現実を忘れている蒼介の視点からは決して区別できない違いを、明音は冷静に指摘し、解釈ではなく本物のわたしを「思い出す」よう要請します。この虚構と現実のずれを分析するフラットな視点は、すでに生きていない明音が、現実を生きる蒼介と虚構を生きるアカネを等しく観察するからこそ、浮かび上がってくるものです。


 また、忘れているものを思い出すのは、他人ではなくまず自分自身を理解することでもあります。蒼介が自らを理解しようとして立ち現れた真実は、絵と音楽を介した蒼介と明音の相互理解でした。天才同士にしか伝わらない繫がりを読者に示すことで、解釈と真実のずれはより一層、切実かつ残酷なものとして姿を露わにします。大勢の人間の理解を拒みながらも鏡のように存在していた天才二人の関係性の〈色〉を蒼介が摑み取っていく流れには、読者をも寄せ付けないラベリング不可能な美しさがありました。

 そして、芸術に携わっているのは、決して天才だけではありません。一人の天才が表舞台で輝く裏では、数多の凡人が陽の目を浴びずにもがいています。日日綴郎さんの『青のアウトライン 天才の描く世界を凡人が塗りかえる方法』で描かれるのは、何を描かせても「天才」と称される高校生・柏崎侑里と、幼馴染で「凡人」の小宮宗佑。才能があるのに絵を描かなくなった侑里に対し、宗佑は嫉妬や劣等感を抱きながら、同時に「筆を折ってほしくない」とも願っていました。侑里に勝つため努力を続ける宗佑は、彼女に正面から挑むため「お前も絵を描けよ」と告げ、対する侑里は「私の才能しか見てないんだろ」と言い放ちます。〈才能〉に縛られた二人が剝き出しにするまっすぐなやりとりは、瑞々しく情熱に溢れていました。


 やがて二人は絵画大賞展を目標にぶつかっていくことになるのですが、二人を語る際に欠かせない登場人物がもう一人出てきます。小学校時代、二人と仲が良かった樫井詩子という少女です。彼女は小学生のときに転校していきましたが、三人の絆はいまでも断たれていません。そして宗佑は小学生の頃からずっと、詩子と相思相愛の関係にあります。宗佑には侑里ではない一途な想い人が存在するため、二人の〈才能〉をめぐる複雑な感情の応酬に、恋愛感情は混ざりません。


 これによって二人の関係性は安易にラブコメに回収されず、友情とも異なる、純度の高い唯一無二のものに仕上がっています。そして詩子との関係性も捨て置かれず、宗佑と詩子の相思相愛は「彼氏彼女」として尊ばれます。そんな彼らが宿している色は、若さと熱量にあふれる青春の「青」です。

 一方、「青」が青春の色だけとは限りません。梶よう子さんの『広重ぶるう』で描かれる「ぶるう」は、江戸の青空を鮮やかに写し取る、グラデーション豊かな「ベロ藍」でした。歌川広重の一代記となっている本作は、売れない絵師・広重が版元の喜三郎に発破をかけられる場面から始まります。描いた絵が思うように売れない広重でしたが、喜三郎の計らいで伯林から渡ってきた「ベロ藍」と出会い、『東海道五拾三次』などに代表される名画を次々に生み出していきます。


 広重の来歴を辿りながら、作家と版元の関係性に焦点を置いて描いているのが、この作品の面白いところです。版元は絵師に対して信頼を寄せながら、ときに商業と人情、両方を天秤にかけて絵師を導いていきます。そして広重はその真摯さに感化され、絵師として版元に優れた作品を見せる。広重が名声を上げるきっかけとなった「ベロ藍」も、版元の喜三郎がいなければ出会わなかったものでした。描きたい色を通じて二者は結びつき、相互に作用し合って作品に〈色〉を与える。これは絵師に限らず、小説家と版元のあいだにも存在する関係性でしょう。

 そして十月から映画も公開される砥上裕將さんの『線は、僕を描く』では、水墨画にスポットライトがあたります。小説と同じく「黒」の一色を用いた水墨画は、はたして黒しか瞳に映し出さないのか──もちろんそんなことはありません。両親を事故で亡くし、「真っ白」になってしまった青山霜介が絵画の展覧会場で出会ったのは、墨一色のはずなのに緻密な筆致で紅く見える、五輪の薔薇でした。そして日本を代表する芸術家・篠田湖山に審美眼を見込まれた霜介は水墨画の才能を開花させ、薔薇の水墨画の作者、篠田千瑛と湖山賞公募展で勝負することになります。


 霜介が水墨画と向き合うことで描こうとするのは、〈内側〉と〈外側〉それぞれの世界です。「水墨は、墨の濃淡、潤渇、肥瘦、階調でもって森羅万象を描き出そうとする試み」とは湖山先生の弁ですが、森羅万象は外側に広がる世界だけではなく、「心の内側に広がる世界」にも確実に存在します。霜介は白い紙に外側の世界を写し出しながら、「真っ白」だった心の内側をいま一度見つめ直していきます。これによって発生するのは、〈外側〉を描くことで世界を知り、〈内側〉の世界に色を描いていく相互関係。この「描く」行為の反復でやがて内外はひとつの大きな世界となり、作品として生きたまま立ち上がります。


 しかし、内外の世界の重ね合わせを示しただけでは、せっかく広がった世界は作品のなかだけで留まってしまいます。この作品が本当に素晴らしいのは、作中にちりばめられた水墨画にまつわる的確な描写の数々。引用するには紙幅が足りないほどの筆捌きによって、水墨画がどのように描かれているのかをこの作品はいちから丁寧に解き明かしていきます。そして霜介が目にする水墨画の世界は、小説という形式で緻密に「描かれる」ことで読者の眼前にも色鮮やかに広がるのです。水墨画で世界を描き、その世界を小説で描く。小説を経由した二重構造によって、水墨画だけでなく「描く」行為の本質に差し迫る作品にもなっていました。


 そして、霜介たちの「描く」旅路はまだ終わっていません。筆をふるう登場人物たちが小説の世界から飛び出したとき、彼らが描く水墨画の世界は、どこまでも眩しい青春は、映画という媒体でどのような〈色〉を描いていくのか。その答えはぜひスクリーンで確かめてください。そしてこれを読んでくださったあなたにも、芸術を通して鮮やかな色が灯りますように。

あわいゆき

都内在住の大学生。小説を読みながらネットで書評やレビューを手掛ける。普段は幅広いジャンルの文学賞やランキングを追っている。

Twitter:@snow_now_s

note:https://note.com/snow_and_millet/

本記事で取り上げた作品は――

『リボルバー』

原田マハ

幻冬舎

定価1760円(税込)


『きみが忘れた世界のおわり』

実石沙枝子

講談社

定価1650円(税込)

『青のアウトライン 天才の描く世界を凡人が塗りかえる方法』

日々綴郎

富士見ファンタジア文庫

定価748円(税込)

『広重ぶるう』

梶よう子

新潮社

定価2310円(税込)

『線は、僕を描く』

砥上裕將

講談社文庫

定価858円(税込)

登場人物紹介

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