食卓から暴く家族の危機/『ぼっちな食卓─限界家族と「個」の風景』

文字数 1,393文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は内藤麻里子さんがとっておきのエッセイ・ノンフィクションをご紹介!

内藤麻里子さんが今回おススメするエッセイ・ノンフィクションは――

岩村暢子著『ぼっちな食卓─限界家族と「個」の風景』

です!

 最近仕事の用があって、幸田文の随筆『父・こんなこと』を再読した。そこには父である文豪、露伴から家事一般を教えられ、ことに〝作法〟とでも呼びたい掃除の仕方を十四歳で仕込まれる様子が書かれている。厳しい稽古となるが、理にかない、しぐさまですっきりする中身を持っていた。そうやって育った文は背筋に一本芯が通った人間となり、後年作家として大成する。こう育てられると、人間の芯ができるのかと改めて感服した。


 ひるがえって『ぼっちな食卓』である。本書は「食卓」を定点観測し、八十九軒の家庭の十年後、二十年後を追跡調査した結果をまとめたものだ。ただの食卓調査ではない。そこからは家族の暮らしぶりや考え方など、現代に生きる日本人の姿が浮かび上がる。露伴の稽古を知ったら、調査に応じた母親たちはこう言うだろう。「楽しくできなくて子どもたちが可哀想」「厳しい躾をしたら子どもがどうなるか心配です」。この言葉に驚いた人は絶滅危惧種。当然の反応と感じた人が現代人かもしれない。露伴とまではいかずとも、かつては躾けることで生きる術を教え、一緒に食べることで家族を把握していた親のあり方が一変している。


 掃除を含めたお手伝いは、二十年以上も前から「子どもが『やりたがるとき』に『やりたがること』を『やりたいように』『させてあげる』もの」になっていた。ここにやり方を教えるという思考はない。


 そもそも家族は食卓を囲まず、今や「バラバラ食」が増加している。一日三食は崩れ、各自好きな時に、好きなものを食べる。親は食事を作らず、スーパーの総菜やレトルト、冷凍食品を買い置きするか、各自が調達する。子どもたちは食べたくなければ食べなくてよく、朝食の欠食はあって当然だし、栄養も偏る。勝手に食べるのだからどこで食べてもいいわけで、親は子どもが深夜になるまで出かけていても叱らない。


 教え、叱るのは自分も楽しくないし、押しつけになるからやらないのだ。彼らは何を考えているのか。キーワードは「自由」と「個」。著者は食卓を手がかりに、夫婦関係や家具の変化など次々と家族を解析していく。そこから導き出される親たちの心性は「自分勝手」としか思えない。家族への情、親の責任が欠落し、それは虐待の域に達しているという思いがぬぐえない。この問題が厄介なのは、外では「家族の食事に気を配る」的な発言をしながら、内実は全く違う点だ。この調査は食卓の写真と詳細な聞き取りの積み重ねによって、外と内の乖離を白日のもとにさらした。


 子育て支援、少子化対策の関係者に是非言いたい。今まで家族に抱いていた常識が変容している。そこに目を向けるべきだ。

この書評は「小説現代」2024年1,2月合併号に掲載されました。

内藤麻里子(ないとう・まりこ)

1959年生まれ。毎日新聞の名物記者として長年活躍。書評を始めとして様々な記事を手がける。定年退職後フリーランス書評家に。

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