自分の夢を叶えることは難しかったという人でも/『君と漕ぐ5』

文字数 1,365文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は吉田大助さんがとっておきの青春・恋愛小説をご紹介!

吉田大助さんが今回おススメする青春・恋愛小説は――

武田綾乃著『君と漕ぐ5 ─ながとろ高校カヌー部の未来─』

です!

 完結巻とアナウンスされた第五巻を開いた瞬間、あぁ、『君と漕ぐ』だ……といきなり胸がいっぱいになってしまった。〈雨が降っていた。/水上にいると、雨粒が水面を打つ音がよく聞こえる。(中略)うねる水面に合わせ、カヌーが大きく揺れる〉。水面から世界を体感する楽しさを、武田綾乃は本シリーズを通してずっと伝えてくれていた。もちろん、仲間と一緒にカヌーを漕ぐことの喜びも。


 美しい河川を擁することで知られる埼玉県秩父郡長瀞町にある、架空の「ながとろ高校カヌー部」の物語だ。第一巻の開幕時にいた部員は、子供の頃から所属していたものの無くなってしまったクラブチームの代わりにカヌー部を創設した、部長の鶴見希衣と副部長の天神千帆。これまで大会出場経験はなかった無名の天才・湧別恵梨香と、彼女に憧れてカヌーを始める黒部舞奈という一年生コンビが部の門を叩く。


 全くの初心者であるキャラクター(本作で言えば舞奈)が才能を急速に開花させ、経験者を逆転しトッププレイヤーとなる──というスポーツものの定型を本シリーズは潔くキックする。多視点群像形式が採用された物語は、カヌー競技を読者にガイダンスする意味も込めて、舞奈をたびたび視点人物として登用する。舞奈が努力を重ね、カヌーが上達する姿を追いかけるのだが、天才たちとの距離は常に保持されているのだ。しかし、そんな舞奈にもちゃんと役割がある。シングルやペアの試合で上位入賞することは難しいけれど、フォア(四人乗り)をするには舞奈の存在が不可欠なのだ。最終第五巻では、さらなる役割が与えられる。


 天才ではなく、天才を見つめる等身大の努力家タイプをフィーチャーする選択は、著者の代表作『響け! ユーフォニアム』とも共鳴する。天才を主人公にした物語は快感や挫折の演出がしやすいが、読者が作中に自分の居場所を見つけられなくなるデメリットがある。本シリーズが提示しているのは、自分の夢を叶えることは難しかったという人でも、誰かを応援し、その人が夢を叶える瞬間を目撃した経験ならばあるのではないかという問いかけだ。それはまるで、自分のことのように嬉しかったのではなかったか、と。


 才能による分断は明らかすぎるほど明らかながらも、全ての登場人物たちを祝福する大団円を前にして、これからも武田綾乃には青春を書き継いでいってもらいたいと強く願った。その作品に触れれば、ともすれば暗黒に傾きがちになる青春の思い出がきっとポジティブに塗り替えられていくから。

この書評は「小説現代」2023年4月号に掲載されました。

吉田大助(よしだ・だいすけ)

1977年生まれ。「ダ・ヴィンチ」「STORY BOX」「小説 野性時代」「週刊文春WOMAN」など、雑誌メディアを中心に書評や作家インタビューを行う。Twitter @readabookreview で書評情報を発信。

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