書きかけの本の裏側にあった人生の真実とは──?/『月のうらがわ』

文字数 1,310文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は田口幹人さんがとっておきの時代小説をご紹介!

田口幹人さんが今回おススメする時代小説は――

麻宮好著『月のうらがわ』

です!

「しあわせ」という言葉を耳にすると、「幸せ」という漢字に変換する方が多いのではないだろうか。一方で、「仕合わせ」を思い浮かべる方もいるだろう。日本国語大辞典で調べてみると、「めぐり合わせ。運命。(略)よい場合にも、悪い場合にも用いる」とあり、「幸運であること。また、そのさま」と続く。幸運や幸福であることも意味するのだが、本来「しあわせ」とは、良いことも、悪いことも、全て含めた巡り合わせの意味を持つ「仕合わせ」が織り重なって生まれる感情なのだとあらためて感じさせてくれる作品に出合った。『月のうらがわ』である。


 三年前に母を亡くした十三歳のおあやは、大工の父・直次郎と七歳になる弟・正太と深川の新兵衛長屋で慎ましく暮らしていた。ある日、隣の部屋に写本を生業とする侍・坂崎清之介が越してきた。本好きのおあやは、部屋の片づけを束脩代わりに坂崎に手習いを見てもらうことに。そこで書きかけの本『つきのうらがわ』を見つけるのだった。子が亡き母の住むといわれる月へ辿りつこうとする物語だったのだが、物語は結末が書かれておらず、未完のままとなっていた。おあやは、坂崎に頼みこみ、正太や長屋の子どもたちとともに『つきのうらがわ』の続きを考えはじめるのだった。


 そんな折、新兵衛長屋の住人に悲しい別れが訪れる。かしましい長屋の住人たちにも、それぞれ歩んできた人生があり、大なり小なり悩みを抱えていても、ありきたりの平穏な日常を生きている。たとえその日常のすぐ下には真っ暗な泥沼があったとしても、様々な形で支え合い強く生きている。「人が強くなる一番の方法は、誰かのために生きることだということなんじゃねぇかな」という直次郎の言葉が強く印象に残っている。


『つきのうらがわ』の続きを考える行為は、それぞれの亡き大切な人を偲ぶ弔いの時間となっている。それぞれの弔いの時間が、自らが作り出した自分だけが「幸せ」になることを許さない罪の檻に閉じ込めた感情を少しずつ解放してゆくのだった。


 書きかけの本『つきのうらがわ』の本当の意味と、坂崎が辿りついた『つきのうらがわ』の結末はぜひ読んで確かめていただきたい。


 人生は出逢いと別れの繰り返しであり、僕たちはたくさんの後悔をかかえて生きている。だからこそ、逢うべき人に出会えたことを、人は「仕合わせ」と呼ぶのだろう。


 人は、ひとりで生きてゆくことはできない。それは、今も昔も変わらない。読み終えると、「おかげさま」という言葉が浮かんでくる物語だった。

この書評は「小説現代」2023年12月号に掲載されました。

田口幹人(たぐち・みきと)

1973年生まれ。書店人。楽天ブックスネットワークに勤務。著書に『まちの本屋 知を編み、血を継ぎ、地を耕す』『もういちど、本屋へようこそ』がある。

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