「情報兵器」の メカニズム/『人を動かすナラティブ』

文字数 1,377文字

どんな本を読もうかな――。

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今回は内藤麻里子さんがとっておきのエッセイ・ノンフィクションをご紹介!

内藤麻里子さんが今回おススメするエッセイ・ノンフィクションは――

大治朋子著『人を動かすナラティブ』

です!

 今年二月、米国は公用端末での「TikTok」使用を禁止し、それを民間にまで広めようとしている。中国共産党に利用者の個人情報が流れる恐れがあるからだ。このニュースを聞いた時、ただ漫然と受け流した。しかし、本書でそこに潜む実態を知り愕然とした。


 いまや我々の生活はSNSと切り離せない。X(旧ツイッター)やフェイスブックなどに気軽に投稿するし、「いいね」を押す。ところが、本書によればある人の「いいね」を三〇〇個分析すると、「配偶者より正確にその人の性格や嗜好、考え方を把握できる」という。そこで心理操作しやすい層を見つけ、彼らに偏って作った情報、例えば陰謀論などを投下すれば、望むような行動をとらせることが可能だそうだ。実際に二〇一六年の米大統領選や、英国のEU離脱でこの世論工作がなされたと、軍事心理戦を得意とするデータ分析企業にいた人物が告発している。


 SNSが恐るべき「情報兵器」だということは、既に世界の常識だったのだ。TikTok禁止はこうした現状から来ていた。世界の見え方が一気に変わった。


 情報兵器そのものが、タイトルにある「ナラティブ」だ。「語り」または「物語」などと訳され、「『語る行為』と『語られたもの』の両方の意味が含まれる」。日本語に該当する言葉がないため、本書は「ナラティブ」をそのまま使う。これはナラティブの力、メカニズムについて調査した記録である。


 先に紹介したSNSとナラティブの関係は最も衝撃的な個所だが、本書がリポートする分野は多岐にわたる。ナラティブは「脳が持っているほとんど唯一の形式」(養老孟司)だと言うのだから、人間の行為すべてにかかわる。安倍晋三元首相銃撃事件のような「ローンオフェンダー(単独の攻撃者)」や、陰謀論、戦争当事国のナラティブ。ナラティブによってAIで潜在的テロリストをあぶり出すこともできれば、自伝を書いてPTSD(心的外傷後ストレス障害)を軽減することもできる。その危険性と可能性に次々と迫り、脳神経科学まで射程に入れる詳細な調査に感服した。そのうえ疑問のベールをはいでいく道のりや、今までの知識がつながって「エウレカ(分かった!)」という瞬間が訪れたこともつづり、著者の関心に導かれて面白く読める。本書自体のナラティブがうまい。


 常々、原爆など戦争の記憶を若い世代に継承するには、井伏鱒二の『黒い雨』や、中沢啓治の『はだしのゲン』などの物語が果たす役割は大きいと感じていた。その根拠を本書で確認できた。ナラティブの持つ力は計り知れない。それを知っているだけでも、現代社会を生きるうえでの鎧になると痛感した。

この書評は「小説現代」2023年11月号に掲載されました。

内藤麻里子(ないとう・まりこ)

1959年生まれ。毎日新聞の名物記者として長年活躍。書評を始めとして様々な記事を手がける。定年退職後フリーランス書評家に。

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