第16回
文字数 2,574文字
東京を中心に、コロナ感染者が再び激増し、政府肝いりの”Go Toキャンペーン”も迷走している。
隙あらば、BBQやシャンパンタワーに興じたいという向きには、まだまだ厳しい時代が続きそうだ。
「ひきこもりこそ世界を救う」という千年に一度のパラダイムシフトが起きつつある今、どうすれば人類が生き抜けるのか、意外とためになるヒントが、そのライフスタイルからは見えてくる。
脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、困難な時代のサバイブ術!
このひきこもり処世術も連載15,6回目、ひきこもりの良さについて熱く語ってきた錯覚を覚えたところ「私もひきこもりになりたい!」という多くの読者の声が壁から聞こえるようになった。
このように、ひきこもりというのは、全てがぼんやりしてしまい、幻覚や幻聴が良く聞こえるようになるので、そんなに自信を持って「お勧め」とは言えないのだが、外に出ることに多大なストレスを抱え、出来ればひきこもりになりたいと思っている人も多いのではないだろうか。
ここで言うのは、社会問題的なひきこもりのことではない。
そっちのひきこもりなら今日からでもなれる。国民の三大義務を完無視して部屋から出なければ良いだけの話だ。
そう言いたいところだが、そのようなひきこもりにもなれる人となれない人がいる。
本物のひきこもりというのはたとえ働かずにひきこもっても、衣食住を確保してくれる強力なサポーターがいないと不可能なのである。
単身でひきこもることもできるが長くは続けられない。食料も水も尽きてなおひきこもり続けるとしたら、それはすでにひきこもりではなく、即身仏を目指す苛酷な宗教行為と言って良い。
つまり「実家が太い」必要があり、細い人間はひきこもりになることすら不可能なのだ。
もちろんひきこもりを持つ家庭が特別裕福というわけではない。
確かに太い上に、赤黒く血管が浮き出ている強い親を持つ者もいる。
わかっていると思うが今のは「スネ」の話だ。
だがそういう家は正直、子どもが一人ひきこもってもそんなに困らないのだ。
それよりも、ギリギリの状態でひきこもりの子どもを支えている家庭が問題になっているのだが、そんな家でも十分「太い」のレベルに入るのである。
世の中には「0.02ミリ」というサガミオリジナルと争う姿勢を見せている実家を持つ者も少なくないし、そもそも「実家」というものが物理的に存在しない者だっているのだ。
中には実家はあるが、家族と険悪で、実家に帰るぐらいなら衆生救済を目指し即身仏化を目指すという、信心深いタイプもいる。
つまり「実家に帰らせていただきます!」というキメ台詞も、実は選ばれし者にしか言うことが出来ない言葉であり、実家がメドローアしている人間からすると「伝説」レベルの呪文なのだ。
そして、この実家の直径に関しては、みな無自覚なことが多く、特に帰る実家がある人間は、実家があることが普通と思っているので、困っている人に対し何の疑問もなく「実家に帰ればいいじゃないか」と言ってしまったりする。
これは実家がない人間からすると「幻の大地で妖精に食わせてもらえばいい」と提案されたようなものなのである。
さらに、親などと普通以上の関係を築けているものは「家族と険悪」という状態も想像がつきづらいため、「親と仲が悪いから帰りたくない」と聞くと「そんな意地張ってる場合ではないでしょう」などと言ってしまったりする。
確かにそうかもしれないが、実家に帰るぐらいなら明海上人と肩を並べる覚悟の人間は、そういう言葉に深く傷ついてしまう。
つまり他人にアドバイスする時は安易に「実家」という言葉は出さない方がいい。場合によっては「バルス」と同じ効果が表れ、人間関係が崩壊してしまう。
だが逆に言えば、8050問題が発生しやすいのは「中途半端に太い家庭」である。
ギリギリでも支える力があるから、ひきこもりの子どもを何十年も匿ってしまうのだ。細い、もしくは存在すらしない実家からひきこもりが発生することはあまりない。
日本でひきこもりが多く発生したのも、社会情勢や国民性もあるが、よくも悪くも中流以上の家庭が多かったせいかもしれない。
もちろん太い実家に産まれたことが悪ではない。それは良かったですな、としか言いようがない。ただそれが「普通」ではないということは理解しておいたほうが良い。
このように「ひきこもり」というのは、結構ステータスが高いポジションなのだが、よほど実家が巨脛でないといつかは破綻するので、進んでなりたいという者は少ないと思う。
だが、経済的に自立しながら極力外に出ず、人とも関わらないタイプのひきこもりになりたいという人は結構多いのではないだろうか。
ひきこもりの最大の問題が「経済」なのは確かなので、ここさえクリアできればひきこもりでも問題ないと言えなくはないのだ。
そうなると次は「外に出ないことにより周囲と人間関係が築けない」という問題が出てくるのではないか、と思うかもしれない。
確かにひきこもりを長く続けるとそこが不安になってくる人は多いと思うし、実際ひきこもることにより人間関係が築けないという問題があるのも確かだ。
だが、外に出ていれば人間関係が築けるわけでもないのだ。
元々ひきこもりになるような人間というのは、人間と接触すればするほど、人間関係がマイナスになっていく場合が多い。
それが、ひきこもりとなり、人との接触回数をゼロにすることにより、プラマイゼロ、もしくは若干マイナスぐらいで済んでいるのだ。
つまり、ひきこもることで実質人間関係がプラスになっているということである。
プラスにはならないが「大きな損失を防げる」のがひきこもりという生き方なのだ。
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中。