〈5月17日〉 芦沢央

文字数 1,416文字

共同作業


 十日目にして、ようやく空が完成しようとしていた。
残っているのは、上下左右すら判然としない灰色のピースばかりだ。よりによって、と、もうこの十日間で三十回は考えた言葉が浮かぶ。
 妻が、ダイニングテーブルで千ピースのウユニ塩湖のジグソーパズルを始めたのは、まったく存在感がないゴールデンウィークが終わったばかりの頃だった。よりによってそんなところで、よりによってその絵柄かよ――抜けるような青空を水面にも映した光景を前にこみ上げてきた言葉を、けれど俺は口にはしなかった。
 代わりに俺は、妻の向かいに座り、端のピースを選り分け始めた。家の中には、ピースをかき混ぜる音と、ダイニングテーブルの脚がガタつく音だけが響く。じゃらじゃら、がったん。じゃらじゃら、がったん。
 初めての共同作業です、という言葉がふいに浮かんで自嘲した。初めても何も、もう結婚十三年目だ。
 だけど、こうして二人で力を合わせて何かをするというのは、ひどく久しぶりな気がした。結婚してすぐの頃にはよく一緒に家具を組み立てたり料理をしたりしたものだが、ここ数年は勤務時間がずれていることもあり、各々好きなタイミングで食事を済ませ、顔を合わせれば軽く話すくらいの関係性になっていた。
 それが、突然二十四時間同じ家で過ごせと言われても、まあ、正直やりづらい。それでも一週間ほどは一緒に食事をしながら話していたが、しばらくして特に話したいこともないと気づいた。むしろ、話せば話すほどに意見はすれ違い、空気は悪くなっていく。
 やがて、再び距離を置いて生活するようになり、食事の時間もずらすようになってきた頃、妻がインターネットで注文したらしいジグソーパズルが届いたのだ。そして、この十日間、会話はないものの何となく自然に役割分担をしながら進めてきて、ついに今日、完成しようとしている。
 最後のピースを手に取ったのは、妻だった。
 つまみ上げたピースを穴の上に掲げ、そこで躊躇うように動きを止める。たしかに、と俺は思った。これで終わりだと思うと、ちょっと寂しいな、と。
 妻の腕が伸び、ピースがはまった。最後のピースが入っただけなのに、全体的に輪郭がはっきりしたようなウユニ塩湖を、二人で見下ろす形になる。
「ここ、行ってみたくない?」
「しばらく海外旅行は無理だろ」
 妻の言葉に反射的に答えてしまってから、ああ、またやってしまった、と反省した。だが、もう遅い。
 妻が口を噤んでパズルを分解し始めた。俺は数秒迷ってから隣に並び、ピースを鷲掴みにして箱に戻し始める。奥側のピースを取るためにテーブルに手をつくと、がったん、と大きくテーブルが傾いた。
 ふいに、「それより」という言葉が口をついて出る。
「「このテーブルを」」
 重なって響いた声に、妻へ顔を向ける。
 一拍して噴き出した声も、重なった。


芦沢央(あしざわ・よう)
1984年、東京都生まれ。千葉大学文学部卒業。2012年、『罪の余白』で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。『悪いものが、来ませんように』『今だけのあの子』『いつかの人質』『許されようとは思いません』『貘の耳たぶ』『バック・ステージ』『火のないところに煙は』『カインは言わなかった』など著作多数。

【近著】

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