〈6月7日〉 田丸雅智

文字数 1,405文字

雨のソーメン


 梅雨を控えたこの時期は、毎年のように蒸し暑い。
 こんな日には、夏に先駆けてソーメンでも。
 そんなことを考えて、おれはスーパーを訪れた。マスク姿の人たちとの距離を意識しつつ、ソーメンの棚へと足を運ぶ。
 妙なものと出会ったのは、そのときだった。ソーメンのラインナップに、こんなものを見つけたのだ。
『雨のソーメン』
 雨粒をあしらったオシャレなラベルにもなんだか惹かれ、おれは手に取ってみた。見た目は、普通のソーメンと変わらなかった。商品を裏返すと、製造所の欄には鎌倉の住所が書かれている。
 まあ、これでいいか……。
 そんな軽い気持ちで、おれはその品を買ってみることにした。
 異変が起こったのは、帰宅してお湯に麺を投入したあとだった。それはとろけるようにお湯の中に消えていき、見えなくなったのだ。焦って菜箸ですくってみると、透明な麺が引っかかった。
 それを見て、おれは雨みたいだなぁと不思議と思った。雨の残像が描く線──目の前のものは、あれを切り取って集めてきたもののように映ったのだった。
 そうこうしている間にも麺は茹であがり、おれは早速つゆにつけてそれを食した。
 味は、まさしくソーメンだった。が、どんどん食べてみるうちに、雨の匂いがしはじめた。それと同時に、頭の中に鮮明なイメージも浮かんできた。
 しとしとと雨が降りしきる中、おれは石畳の道に立っていた。
 周囲には、青、青、青。
 咲き乱れていたのはあじさいだった。この場所には来たことがある、と、おれは思った。あじさいの名所、鎌倉の明月院だ。
 たくさんの人々が、そのあじさいに見入っていた。無数の傘が揺れ動く。ぽたぽたと垂れ落ちるしずく。濡れた石段。その先に静かにたたずむ山門──。
 気がつくと、ソーメンは最後のひと口になっていた。雨はいつしか止んでいる。
 そのとき、おれはある変化に気がついた。目に映る部屋の中のあらゆるものが、まるで雨上がりのように鮮明に輝いているように見えたのだ。
 おれは自然とこう納得していた。
 なるほど、雨がいろんなものを洗い流して、視界がクリアになったのか──。
 一拍置いて、おれは思う。
 そう考えると、これからはじまる梅雨も、なんだか少し楽しみになるな、と。
 もちろん、世にはびこる病が簡単に去ってくれるだなどとは思わない。が、もしかすると、降りそそぐ恵みの雨が、たちこめるいろいろなものを洗い流す。そんなことがあってもいいんじゃないか──。
 おれは最後の麺をズズッとすすり、そうなったときの光景を想像してみる。
 心はおのずと躍りだす。
 雨が上がったあとの世界は、きっといっそう美しい。


田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。現代ショートショートの旗手として執筆活動に加え、「坊っちゃん文学賞」などにおいて審査員長を務める。また、全国各地で創作講座を開催するなど幅広く活動している。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』『マタタビ町は猫びより』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

【近著】

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