〈6月10日〉 友麻碧

文字数 1,179文字

 6月10日。私はひょっこりと巣穴から顔を出す。

 我慢していた〝美味しいもの〟があります。
 近所のパン屋の〝明太フランス〟です。
 外出自粛期間も少し前に終わり、マスクをつけて人との距離感を気にしつつ、私はパン屋へと向かいます。

 私の住まう地域は明太フランス激戦区であります。
 明太フランスとはその名の通り、フランスパンに特製の明太子ペーストをたっぷり挟み込んだ、福岡発祥の罪深い食べ物。最近では福岡の新名物に名を連ねているとか、いないとか……
 ピリリと辛い明太ペーストが、バリッとハードなフランスパンに、なぜかよく合います。
 最近では明太フランスだけではなく、様々な明太子系のパンを見かけます。クロワッサンの表面に明太ペーストを塗って焼いたものや、厚焼き卵と明太ペーストを挟み込んだサンドイッチなど。
 どれも外さないので、明太子って凄い。

 私が本日求めているのは、王道の明太フランス。
 焼きたてを一本ゲットして、急いで帰ります。
 最近少しずつ暑くなってきて、マスクの内側が蒸し蒸ししますね。人のいない場所で、マスクをずらして大きく深呼吸をすると、空気の匂いの懐かしさに、妙にハッとさせられたのでした。

 さて。お家でさっそく、明太フランスを切り分けます。
 あふれんばかりの明太ペーストが、切った断面から垂れてしまって、見るからにヤバいやつ。
 きゅうりとトマトがおいしい季節になってきたので、炭水化物のお供にこちらも切ります。
 カロリーの高そうなものにはきゅうりとトマトをぶつけがちです。
 明太フランスはまだほんのり温かく、明太ペーストがたっぷりのったところを、まずはいただきます。
 皮には焼きたてのパリパリ感が残っており硬め。だけど中は驚くほどもっちりしていて柔らかく、ガーリックバターがよく染みており、つぶつぶ感の残った明太ペーストが程よくピリ辛です。
 なのに、噛んでいるとほのかに甘い。
 ずっと我慢していただけあって、衝撃的に美味しい。え、こんな美味しかったっけ?
 美味しいものは尊いです。諸々のストレスすら吹っ飛ばしてくれる。
 いっそ拝む。ありがたや……ありがたや……

 食べたいものを、食べたい時に食べられるというのは、当たり前のことではないのですね。
 私は明太フランスとともに、そのありがたみを強く噛み締めたのでした。


友麻碧(ゆうま・みどり)
福岡県出身。「かくりよの宿飯」シリーズが大ヒットし、コミカライズ、TVアニメ化、舞台化される。他著に「浅草鬼嫁日記」シリーズ、「メイデーア転生物語」シリーズ(富士見L文庫)、「鳥居の向こうは、知らない世界でした。」シリーズ(幻冬舎文庫)などがある。

【近著】

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