〈7月1日〉 朝井リョウ
文字数 1,587文字
お守りがわり
「えー、あー……大丈夫です」
その後ろ姿から、何かを迷うような声が聞こえてくる。会計を終えたらしい女性は、「レシートはください」と付け加えると、眉を下げた横顔でコンビニの出口へと歩き出した。細い腕の上に商品を積み重ねて進む彼女の姿は、その危うさによって、私のみならず店員の視線をも引き寄せている。
「次の方、どうぞ」
私は前進し、妥協して選んだ品々を差し出す。本当は豚しゃぶサラダとチーズ二倍のブリトーを狙っていたけれど、見事にその二つだけ売り切れだったのだ。昨日は家にいる時間が増えた恋人と喧嘩をしたばかりだし、最近何だかついてない。今朝のニュース番組での占いも、散々な結果だった。
感染者の再増加、迫る都知事選、曇天が続く天気予報――そんな情報を締めくくるように提示された、かに座の最下位。喧嘩の翌日、久しぶりの出勤日、せめてこの占いくらいはとすがるような気分だった私は、小さな抵抗としてラッキーナンバーを記憶しながら家を出た。6。6ね。
グラタンを温めるかという店員からの申し出を断りながら、午後に向けて気を引き締める。今日から四半期決算の作業が始まるのだ。年に何度かある、経理部としての繁忙期。ってつまり、月でさえ、ラッキーナンバーから変わってしまったということか。私はため息を吐く。
それにしても、あのニュース番組の占い、かに座はいつも下位な気がする。自分の星座だからそう感じるだけだろうか。いや、それにしても――
「お客様」
店員の声に、我に返る。
「レジ袋、おつけいたしますか?」
そうだった。私は両手を見下ろす。レジ袋有料化、今日からだった。コロナ禍でエコバッグの使用を控える国も多い中決行、という論調のネットニュースが頭を過る。
変わる日常。いちいち納得いかない国の動きにはうんざりだし、人間関係に歪みはできるし決算の数字を見るのも怖い。当たらないとわかっていても、占いコーナーの結果に頼りたくなる日は、ある。
「お願いします」
三円で手に入れた袋を提げコンビニを出ると、少し先に、ゆっくりと歩く女性の姿があった。さっき、自分の前に会計をしていた人だ。その足取りはやはり危なっかしい。
と、そのとき。「あっ」という声と共に、女性の陰から何かが落ちた。私は咄嗟に、それを拾いに行く。
「すみません」
頭上から聞こえる声に「いいえー」と応えながら、私は拾得物を確認する。
それは、レシートだった。
合計の欄には、666円の文字。
「ありがとうございます」
私は立ち上がる。細い腕に幾つかの商品を抱えた女性が、申し訳なさそうに眉を下げている。
そうか。私は彼女を見つめる。
レジでわざわざ付け加えていた、「レシートはください」という言葉。その直前、迷いながらも、何かを断っていた様子。三円のレジ袋が追加されたら、壊れてしまうラッキーナンバーのゾロ目。
当たらないとわかっていても、占いコーナーの結果に頼りたくなる日はある。レジ袋に入れたほうが持ち帰りやすい商品たちで両手が塞がっていたって、お守りがわりになりそうなものを摑みたくなる日。
「午後も、がんばりましょうね」
あなたもそんな日だったんだね。続く言葉を呑み込んだとき、女性の眉がぱっと美しい山なりを描いた。
朝井リョウ(あさい・りょう)
1989年5月生まれ、岐阜県出身。2009年『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。2013年『何者』で第148回直木賞を受賞。『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞を受賞。他の著作に『世にも奇妙な君物語』『死にがいを求めて生きているの』『どうしても生きてる』など。
【近著】
「えー、あー……大丈夫です」
その後ろ姿から、何かを迷うような声が聞こえてくる。会計を終えたらしい女性は、「レシートはください」と付け加えると、眉を下げた横顔でコンビニの出口へと歩き出した。細い腕の上に商品を積み重ねて進む彼女の姿は、その危うさによって、私のみならず店員の視線をも引き寄せている。
「次の方、どうぞ」
私は前進し、妥協して選んだ品々を差し出す。本当は豚しゃぶサラダとチーズ二倍のブリトーを狙っていたけれど、見事にその二つだけ売り切れだったのだ。昨日は家にいる時間が増えた恋人と喧嘩をしたばかりだし、最近何だかついてない。今朝のニュース番組での占いも、散々な結果だった。
感染者の再増加、迫る都知事選、曇天が続く天気予報――そんな情報を締めくくるように提示された、かに座の最下位。喧嘩の翌日、久しぶりの出勤日、せめてこの占いくらいはとすがるような気分だった私は、小さな抵抗としてラッキーナンバーを記憶しながら家を出た。6。6ね。
グラタンを温めるかという店員からの申し出を断りながら、午後に向けて気を引き締める。今日から四半期決算の作業が始まるのだ。年に何度かある、経理部としての繁忙期。ってつまり、月でさえ、ラッキーナンバーから変わってしまったということか。私はため息を吐く。
それにしても、あのニュース番組の占い、かに座はいつも下位な気がする。自分の星座だからそう感じるだけだろうか。いや、それにしても――
「お客様」
店員の声に、我に返る。
「レジ袋、おつけいたしますか?」
そうだった。私は両手を見下ろす。レジ袋有料化、今日からだった。コロナ禍でエコバッグの使用を控える国も多い中決行、という論調のネットニュースが頭を過る。
変わる日常。いちいち納得いかない国の動きにはうんざりだし、人間関係に歪みはできるし決算の数字を見るのも怖い。当たらないとわかっていても、占いコーナーの結果に頼りたくなる日は、ある。
「お願いします」
三円で手に入れた袋を提げコンビニを出ると、少し先に、ゆっくりと歩く女性の姿があった。さっき、自分の前に会計をしていた人だ。その足取りはやはり危なっかしい。
と、そのとき。「あっ」という声と共に、女性の陰から何かが落ちた。私は咄嗟に、それを拾いに行く。
「すみません」
頭上から聞こえる声に「いいえー」と応えながら、私は拾得物を確認する。
それは、レシートだった。
合計の欄には、666円の文字。
「ありがとうございます」
私は立ち上がる。細い腕に幾つかの商品を抱えた女性が、申し訳なさそうに眉を下げている。
そうか。私は彼女を見つめる。
レジでわざわざ付け加えていた、「レシートはください」という言葉。その直前、迷いながらも、何かを断っていた様子。三円のレジ袋が追加されたら、壊れてしまうラッキーナンバーのゾロ目。
当たらないとわかっていても、占いコーナーの結果に頼りたくなる日はある。レジ袋に入れたほうが持ち帰りやすい商品たちで両手が塞がっていたって、お守りがわりになりそうなものを摑みたくなる日。
「午後も、がんばりましょうね」
あなたもそんな日だったんだね。続く言葉を呑み込んだとき、女性の眉がぱっと美しい山なりを描いた。
朝井リョウ(あさい・りょう)
1989年5月生まれ、岐阜県出身。2009年『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。2013年『何者』で第148回直木賞を受賞。『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞を受賞。他の著作に『世にも奇妙な君物語』『死にがいを求めて生きているの』『どうしても生きてる』など。
【近著】
