〈6月4日〉 高橋克彦

文字数 1,288文字

虫の日


 六月四日が「虫の日」であるとは知らなかった。
 ただの語呂合わせだろうが、休日に制定されていないので大方は知らないに違いない。どうせ語呂合わせなら、自分の楽しみや欲を捨てて他に尽くす「無私の日」とか、自分や家族の喜びのためだけを優先する「無視の日」、あるいは医療の向上や交通事故、暴力の根絶を願う「無死の日」などの方が多くにアピールしやすそうに思えるが、「虫の日」とはなんだか洒落ている。
 これは日本語の語呂合わせなので他の国には通用しない。いや、私が知らないだけで、世界にも「虫を愛でる記念日」があるのだろうか。虫と言っても気が遠くなるくらいの種類が存在し、その大方は嫌われている。害虫に対する益虫の比率はたぶん5パーセントにも満たない。
そもそも虫という呼び名はどこから生まれたものだろう。語源を探って見たが、よく分からない。漢字については「まむし」から生まれた象形文字と分かった。「ま」とは「真」だろうから、古代には「まむし」が虫の代表であったと分かる。蛇のことを長虫と呼んでいたことでも明白だ。
 けれど蛇は爬虫類で、我々の頭に描く虫とはだいぶ異なる。咄嗟に思い浮かべるのはゴキブリやら蠅、てんとう虫などなど。それらは昆虫で、本来漢字では「蟲」の字が当てられ「虫」とは別物として明確に区分けされていた。小さな生物が群生しているところから生まれたものだろう。ところが虫偏の漢字が増えるに従って両者の区分けが曖昧となった。とされているのだが、相変わらず「むし」と呼び始めた語源は不明のままだ。
 いろいろと辞典や文献を当たり、たぶんこれだろうと思われる仮説に辿り着いた。「胸」の語源からの推測である。胸はすべての動物にとって一番大事な部位だ。心臓や大事な臓器がびっしりと詰まっている。すなわち動物の体の根源。今でこそ「むね」と発音しているが、古代では「みね」と言っていたのではないかという考察がある。「みね」すなわち「身根」であって、身体の中心、ということだ。それが時代を経るに従って「むね」に変化した。これには大きく頷ける。
 となると虫の「む」も胸を意味している可能性が高い。いやいや「し」だとて「足」の「し」に繋がる。昆虫の一番の特徴は胸部に足が生えていることである。新たな発見をした気分になって嬉しかった。
 今日が「虫の日」でなければ生涯考えようともしなかった問題である。


高橋克彦(たかはし・かつひこ)
1947年、岩手県生まれ。早稲田大学卒。’83年、『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞、’86年、『総門谷』で吉川英治文学新人賞、’87年、『北斎殺人事件』で日本推理作家協会賞、’92年、『緋い記憶』で直木賞を受賞。
『風の陣』『火怨』(吉川英治文学賞受賞作)『炎立つ』『天を衝く』『水壁』の蝦夷五部作が代表作に。その他、『竜の柩』『火城』『時宗』、「完四郎広目手控」「だましゑ」シリーズなど、著書多数。

【近著】

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