〈5月22日〉 横関大

文字数 1,196文字

 俺は今、ビルの空き部屋にいる。世間の関心は昨日辞表を出した検察庁のお偉いさんに集まっているらしいが、俺はそんな騒ぎとは無関係だ。今日から仕事再開だ。
 ライフルのスコープを覗く。真向かいにあるマンションの一室。だだっ広いリビングには誰もいない。そう、俺は殺し屋だ。
 本来なら毒を使う。部屋に侵入して標的が口にするはずの飲料に毒を仕込む。だが今日は押し入れからライフルを引っ張り出してきた。殺しもリモートで、というわけだ。
 リビングに男が入ってくるのが見えた。俺は引き金に指をかける。風が少々強いか。
 今回の獲物は大物だ。Lの一族という泥棒一家の頭領、三雲尊だ。三雲という男がどんな奴か知らないが、残念ながら今日で最期だ。俺は狙った獲物は確実に仕留めるのだ。
 喉が渇いていた。俺はコンビニの袋から出した紙パックのフルーツ牛乳を開ける。口に運ぼうとした瞬間、俺はその匂いを嗅ぎ分けた。普段から毒物を扱っているため、絶対に間違いない。どうしてフルーツ牛乳に毒が? さきほど立ち寄ったコンビニ。あのベトナム人の店員の仕業か? いったいなぜ――。
 風が幾分弱まる。頭の中に疑問が渦巻いていたが、俺は仕事を遂行することにした。標的は今、背中を向けている。
 悪く思わないでくれ。こっちも仕事でな。
 俺が引き金を引こうとした、そのときだった。スマートフォンが震え出した。
 見知らぬ番号だ。着信は止む気配がない。俺は画面を操作した。男の声が聞こえてくる。
「やあ、殺し屋君」
 スコープに目を押しつける。携帯片手に男がこちらを見ていた。口元には笑みが浮かんでいる。俳優の渡部篤郎にクリソツだ。
 フルーツ牛乳に毒を仕込んだのも奴の仕業か。Lの一族は殺しはやらない主義だと聞いていた。おそらく奴は、俺が飲む直前に必ず気づくと見越したうえで毒を仕込んだのだ。
「ステイホームだ」奴が言う。「自粛に疲れたのはわかる。そこは3密じゃねえし、飯を食うくらいは構わんだろ。そろそろ届く頃だ」
 インターホンが鳴った。覗き窓から外を見ると宅配ピザの配達員が立っている。まったく何て男だ。今回は向こうが上手だったらしい。
「実はこれからオンライン麻雀をやるんだが、よかったら俺たちと一緒にやらないか」
 スコープを覗き込む。三雲尊が不敵に笑って言った。「もちろん金なんて賭けずにな」


横関大(よこぜき・だい)
1975年静岡県生まれ。武蔵大学人文学部卒。2010年『再会』で第56回江戸川乱歩賞を受賞。著書に連続ドラマ化された『ルパンの娘』、『ルパンの帰還』、『ホームズの娘』、『グッバイ・ヒーロー』、『スマイルメイカー』、『K2』、『ピエロがいる街』、『仮面の君に告ぐ』『誘拐屋のエチケット』などがある。

【近著】

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