〈6月5日〉 真下みこと

文字数 1,568文字

40分の1


 生まれて初めてギャルメイクをした。
 初めて使ったZoomというビデオチャットアプリは、思ったよりも使いやすかった。画面の向こうで鏡に夢中になっている由紀(ゆき)に話しかける。
「メイクって、すごいね」
「ね」
 笑いあうと、中学生の頃に戻ったみたいだった。友達と笑いあうのが、久しぶりに思える。
 明日Zoomしよう、と由紀が言ってきたのは昨日のことだった。じゃあ一緒に動画を見ながらギャルメイクをしたいと私は言った。絶対楽しい、やろう。修学旅行で金木犀(きんもくせい)の練り香水をお(そろ)いで買ったときみたいに、ふたりではしゃいだ。
 くちびるのつやが足りない気がして、リップグロスを塗り重ねる。グロスの(ふた)を閉めたとき、由紀の声がした。
日奈子(ひなこ)、高校行ってないんでしょ?」
 かち。完全に閉まった音がして、私は画面を見た。由紀は、画面の中の私の顔をじっと見ている気がした。
()(ぐち)っていう英語の先生が、2月から産休に入ったでしょ。私のお姉ちゃんが、臨時講師として、日奈子の学校に赴任したの。3月からは、休校になっちゃったけど」
 こと。グロスが落っこちて、足の親指に当たる。拾わないと。
「でも、坂下(さかした)日奈子って名前が書いてある席に、日奈子は座ってなかった。代わりに、(つる)()さんっていうギャルっぽい子が、いませんって笑ったんだって」
 からから。床は平らなはずなのに、グロスが転がっていく。鶴見さんの(とが)った声が、頭のやわらかいところに突き刺さる。
「ずっと、心配してた」
 お布団みたいにふわふわと、尖った言葉を包み込むのは、由紀の声。転がっていったグロスを眺めて、拾わないと、と思った。
「メイクおーわり」
 由紀は軽やかに笑って、プリントスクリーン機能を使って一緒に写真を撮ろうと言ってきた。リモート撮影なんて蜷川(にながわ)実花(みか)みたい、と笑いながら、何枚も写真を撮る。
 学校に行っていたころのことを思い出す。もう、4ヵ月以上も前。
 3学期になってすぐの席替えで、私は鶴見さんと隣の席になった。教科書を忘れたから見せてもらおうとしたら、鶴見さんも持っていなくて二人で怒られた。それから悪口を言われるようになって、教科書に落書きをされたり、机を隠されたりした。
 1月の終わりくらいから、私は学校に行けなくなった。
 あの頃の私は、40分の1のスペースを割り当てられていたのに、周りから押しつぶされているみたいに縮まっていた。
 でも――。私は自分の顔を画面で確認する。別人みたいな、私がいる。画面の向こうの由紀に話しかける。
「私、変われると思う?」
「変われるし、変わらなくてもいいって、私は思う」
 ありがとう、と小さくつぶやくと、私の顔の周りが黄色く光って、額縁みたいに見えた。
 うちの学校にオンライン授業が導入されるという連絡が来たのは、Zoomを切った後だった。教室に行かなくてもいい。画面に映るだけで、クラスに入れる。
 オンライン授業なら、画面は均等に分けられる。私も鶴見さんも、40分の1。誰も私の机を蹴らないし、椅子を隠さない。私は、学校に行ける。
 受験まで、あと2年ある。こんなところで、負けられない。
 本棚を眺めると、毎日ひとりで読み進めてきた教科書の背表紙が、なんだか光って見えた。


真下みこと(ました・みこと)
1997年埼玉県生まれ。早稲田大学在学中。2019年『#()()()とかくれんぼ』で第61回メフィスト賞を受賞し、2020年デビュー。

【近著】

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