〈4月27日〉 秋川滝美

文字数 1,551文字

電話越しのふたり


 スマホが着信を告げたのは午後六時二分、高橋(たかはし)(でん)()がパソコンの電源を落としたときだった。画面に映し出された名前は高島(たかしま)達也(たつや)堀内(ほりのうち)百貨店に同期で入社して以来の腐れ縁である。何か問題でも起きたかと心配しながら出てみると、至って呑気な声が聞こえてきた。
「久しぶり。元気か?」
「まあまあだ。ろくに外に出られないから体重が増えて困ってる」
「それはいかんな。俺は毎日筋トレしてるぞ。おまえもやれよ」
「そのうちな。で、用件は?」
「特に用はないけど、なんとなく、どうしてるかなーって」
 なんだそれ、と返しながら、伝治は冷蔵庫に向かう。取り出した缶ビールの蓋を開けたとたん、高島の声が大きくなった。おそらくプシッという音が聞こえたのだろう。
「何を開けてる! あ、さては酒だな!」
「ビールだよ。悪いか? 終業即酒盛り開始、ってのは在宅ワークならではだろ」
「だからって電話中に呑み始めなくても! くそう、俺だって呑んでやる! 近頃大人気、濃厚、高アルコールで有名なレモンチューハイ様だ、参ったか!」
「はいはい、参った参った。あ、そうだ、いっそビデオ通話にするか?」
 外出自粛が始まって以来、オンライン呑み会が盛んだという。ふたりならビデオ通話で十分だろうと思っての提案だったが、高島は即座に断った。
「いらん!」
「つれないやつだな。もうずいぶん会ってないのに」
「若い連中じゃあるまいし、声だけで十分。おまえの二重顎なんざ見たくねえよ」
「俺だって、おまえの(すだれ)頭なんかごめんだね」
 そしてふたりは同時に笑いこける。人が聞いたら眉を顰めそうな会話も気心が知れているからこそ、お互いに悪意などないことはわかっていた。
 酒を片手にとりとめのない会話が続いた。十五分ほどたったころ、高島がいきなり嬉しそうな声を上げた。
「ニュースを見たか? 感染者数がかなり減った。都内は二日続きで二桁らしいぞ」
「今日の数字は二週間前の感染者だ。天気が悪かったから、外に出る人間が減っただけだろ」
「出かけるやつが減れば感染者も減るって証明だろうが! よーし、ここが辛抱のしどころだ、さっさとけりをつけて呑みに行こうぜ」
 画面越しはごめんだが、直に会えるならおまえの二重顎も我慢してやる、という高島の言葉がたまらなく嬉しい。
 今回の騒動で、友人や同僚はおろか、家族ですらも離れて住んでいれば容易に会えない状況に陥った。ひとり暮らしで誰にも会わない日々は、伝治に会いたい人、会う必要がある人と、そうでもない人がいることを教えてくれた。それと同時に、もしかしたら自分は、誰からも会いたいと思われず、必要とされてもいないのではないか、と不安になっていた。
 高島の『特に用はない』電話と『会って呑もう』という誘いは、伝治の不安を払拭してくれた。少なくともこいつだけは、俺に会いたがってくれていると思えたのだ。
 会いたい人に自由に会える──そんな日が待ち遠しくてならなかった。


秋川滝美(あきかわ・たきみ)
2012年4月よりオンラインにて作品公開開始。2012年10月、『いい加減な夜食』で出版デビュー。著書に『ありふれたチョコレート』『居酒屋ぼったくり』『(こう)(ふく)な百貨店』『マチのお気楽料理教室』『放課後の厨房男子』『向日葵(ひまわり)のある台所』『ひとり旅日和』などがある。素泊まり温泉旅館の食事処に集う人々と店主たちの交流を描いた新刊『湯けむり食事処 ヒソップ亭』が好評発売中。

【近著】

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