〈4月24日〉 恩田陸

文字数 1,246文字

意味を求めて


 DVDでロドニー・アッシャー監督『ROOM237』を観た。
 スタンリー・キューブリック監督の映画『シャイニング』(一九八〇年公開)について、深読みした人々がそれぞれの解釈をえんえんと語る、という地味なドキュメンタリー映画なのだが、なぜか年に一度くらい観たくなるのだ。タイトルは、映画の中で親子三人が住み込みで管理を任された真冬のホテルで、過去に惨劇が起きた部屋の番号である。
 『シャイニング』は原作者スティーヴン・キングが全く評価していない映画としてもよく知られている。キングの原作のイメージが再現されているかどうかはさておき、このただならぬ緊張感と完成度は、やはり映画として傑作としかいいようがない。
 先住民の虐殺が隠されたテーマだ、とか、アポロ計画のフェイクを告発している、などとトンデモ系を含め実にさまざまな解釈が繰り出されるが、確かに完璧主義のキューブリックなら見逃すはずのない「ミス」や「齟齬」がそこここにあるのを指摘されると、深読みを誘うのもよく分かる。
 この映画、観るたびに自分の中で反応する仮説が異なるのが面白い。今回「そうかも」と思ったのは、キューブリックがサブリミナル映画を作ろうとしていたのではないかという仮説。彼が『シャイニング』を作る前に、サブリミナル広告やプロパガンダ映像について調べていたのは本当らしい。それでは、キューブリックは『シャイニング』でいったい何を「サブリミナル」しようとしていたのだろうか?(仮説を立てた人も、そこまでは説明してくれなかった)
 深読みというのは楽しい。つまり、人は観たものに意味を求めるし、観た時の状況や心境によって異なる意味を見いだす。その意味は、時間が経過するにつれてどんどん変わっていくし、振り返るたびに上書きされていく。逆にいうと、人は意味のないもの、理由のないことには耐えられない。九年前の春、私は「どうやって流しの下の壜に毒を入れたのか」という推理小説にしがみついていた。動機と殺意のある、ただの数字ではない死を、小説の中に望んでいた。
 あとから振り返った時、この春に意味と理由を見いだせるのだろうか? そして、その頃また『ROOM237』を観た時に、私はどの仮説に反応するのだろう。


恩田陸(おんだ・りく)
1964年宮城県生まれ。第3回日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった『六番目の小夜子』で1992年にデビュー。2005年『夜のピクニック』で第26回吉川英治文学新人賞と第2回本屋大賞、2006年『ユージニア』で第59回日本推理作家協会賞、2007年『中庭の出来事』で第20回山本周五郎賞、2017年『蜜蜂と遠雷』で第156回直木三十五賞と第14回本屋大賞を受賞。『七月に流れる花』『八月は冷たい城』『祝祭と予感』『歩道橋シネマ』『ドミノin上海』など著作多数。

【近著】

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