〈5月1日〉 浅田次郎

文字数 1,095文字

巣ごもり


 コロナの話ではない。
 ある朝、郵便受を開けてみたら小鳥の(ねぐら)になっていた。
 夏の仕事場は深い森の中にある。数年前に増築した折、大工の棟梁が余芸で郵便受をこしらえてくれた。しかし常住しているわけではないから、郵便物はめったに届かない。つまり、それをよいことに小鳥が巣をかけてしまったのである。
 横開きの扉を開ければ、冬の間に積み重ねられた素材が、たとえばベッドの断面のように一目瞭然であった。
 最下層の数センチは小枝のスプリング。その上にクッションのよい苔が厚く重ねられ、表層にはていねいにタンポポの綿毛が敷きつめられていた。まさしく一個の芸術品を見るようであった。
 どうやら物件は完成しているようだが、施主は不在である。だからと言って私が勝手に排除できるものでもあるまい。
 数日後、ときめきながらそっと扉を開けてみると、シジュウカラが卵を温めていた。覗きこむ人間を全身で威嚇する姿が愛らしく、思わず「ごめんねー」と詫びた。
 私が子供の時分には、どこの家でも小鳥を飼っていた。ジュウシマツや文鳥やシジュウカラを、手なずけたり繁殖させたりすることが少年たちのたしなみであったと言ってよい。中には趣味が昂じて物干台に鳩小屋を作り、伝書鳩の調教に血道を上げるつわものもいた。そうした時代に育った私たちの、鳥に対する愛着はひとしおである。
 つい今しがた、ふたたびときめきながら覗いてみると親鳥たちの姿はなくて、豆粒のような卵が九つ、タンポポの綿毛の上に整然と並んでいた。暖かな昼間に父母は腹ごしらえをして、夕方になればかわりばんこに卵を抱く。
 書斎にこもって原稿を書きながらふと、小説家は人間よりも鳥に近いのではないかと思った。小説を書くという行為は表現とも創造とも言い切れぬが、卵を温めて(かえ)すと言えばまこと当を得ている。
 そして、おのれの本分に忠実である限り、世間の騒ぎとは無縁である。ありがたいことに。


浅田次郎(あさだ・じろう)
1951年生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞、その後も『鉄道員(ぽっぽや)』で第117回直木賞、『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、『帰郷』で第43回大佛次郎賞など受賞多数。当代きってのストーリテラーとして人気を博し、著作も小説からエッセイまで多岐にわたる。近刊は『大名倒産』(上・下)、『流人道中記』(上・下)。

【近著】

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み