〈7月2日〉 島田荘司

文字数 1,176文字

夢洲万博二〇二〇
                       

 夫に症状はないのにコロナ陽性の結果が出て、私は夫とソーシャル・ディスタンス生活になった。一級建築士の夫は、大阪の仕事場にこもってしまって寝たり起きたり、テレワーク三昧の毎日らしい。
「体調はどう?」豊洲のタワマン五十六階から私は訊く。
「世界は平和。何ごともない」彼はいつもそう言う。
「日本の未来は明るい。科学競争力は上がり、GDPはまた伸びるよ。万博プロムナードの大理石、鏡のようにぴかぴか」
「あらそう。もうそんなにできているの」
 アフター・コロナで、会場の設計が大きく変わったのは知っている。
「私たちの夫婦生活も、コロナで変わったわね」私は言った。
「通勤がなくなった会社みたい。前々から部屋で一緒にすごすことはなかったけど、今は食事も睡眠もお茶もお仕事も、完全に別々。顔を見るのはスカイプだけ。ヴァーチャル結婚ね」
 邪悪なウイルスが、哺乳生物の身体接触を消滅させた。
「これからの夫婦、みんなこんなになっていくのかな……」
 妊娠だって、精子を宅配便で送るのだろうか。こんな二十一世紀は、まったく予想しなかった。
 回線の不具合が起こったか、夫が以降同じ台詞を繰り返すようになったので、オフライン会見をすべく私は大阪に向かった。
 (この)(はな)()(ゆめ)(しま)中一丁目の夫の仕事場に行ってみたら、そこにはまだ何もなく、古タイヤが積まれた汚い空き地だった。鏡のような敷石のプロムナードも、未来ビルもない。雑草もまばらな、土むき出しの埋め立て地。
 海べりに行ってみたら、細い堤防で囲まれた湿地帯があって、古い電化製品が大量に捨てられていた。その中に、見覚えのある夫のブルゾンの袖が見えたので、苦労して寄っていってガラクタをよけてみたら、夫らしい白骨死体があった。骨になった右手で、スマホをしっかりと握っていた。
 ああやっぱり死んでたんだ、私は思った。まあこんな夫婦生活なら、別段生きていても死んでいても同じだけれどね。


島田荘司(しまだ・そうじ)
1948年広島県福山市生まれ。武蔵野美術大学卒。1981年『占星術殺人事件』で衝撃のデビューを果たして以来、本書まで50作以上に登場する探偵・御手洗潔シリーズや、『光る鶴』などの吉敷竹史刑事シリーズで人気を博す。2009年、日本ミステリー文学大賞を受賞。また、「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」や「講談社『ベテラン新人』発掘プロジェクト」の選考委員を務めるなど、新しい才能の発掘と育成にも尽力。日本の本格ミステリーの海外への翻訳、紹介にも積極的に取り組んでいる。

【近著】

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