〈4月1日〉 辻村深月

文字数 1,674文字

今日からはじまる物語


 四月一日が、今年はなくなるらしい。
 エイプリルフール。去年、お母さんたちから聞いた、一年で唯一、嘘をついてもいい日。
 大翔(ひろと)は子供部屋の絨毯(じゅうたん)にうずめていた顔を上げて、涙で熱くなった目の周りをぬぐう。さっきまで自分を慰めていた母の姿はもうなかった。
 今日から、クラスメートの将矢(まさや)と遊べなくなった。将矢の家はおばあちゃんたちと一緒に住んでいるから。今、怖い病気が流行っていて、それにかかると大変なのだということは知っていた。だけど、それがどうして将矢と遊べなくなることにつながるのか、大翔にはわからなかった。
「仕方ないの」と母が言った。
「万が一、将矢くんが家にウイルスを持って行ってしまったら大変だから」
 お母さん同士が相談してそう決まったらしい。
 毎日、放課後は習い事や塾で埋まっていても、大翔は一年生の時から文句を言ったことがない。将矢と遊べるのは土日だけだったけど、その土日がとても楽しいから、我慢してきた。学校が休みになってからは会えるのも減って、だけどたまに遊べるのがやっぱりすごく嬉しかった。いつもいつも──いっつも頑張ってきたのに、たったそれだけでいいと望んだ時間が奪われてしまうなんて、信じられなかった。
 静かな部屋に、雨の音がしていた。その音を聞くと、気持ちがだんだんと静かになった。雨なら、いい。将矢と遊べたとしても、どうせ外には出られなかったろうから。だから悔しくないし、悲しくない。
 今年はエイプリルフールがなくなるらしい。大人たちが話していた。こんな時に嘘を吐くなんて、周りを混乱させるし、"ふきんしん"だから。
 ふいに──暗い部屋の奥から、光を感じた。まばゆい、まばゆい光。雨粒が無数に流れ落ちる窓から顔を光の方に向け──そして、息を呑んだ。
 大翔の本棚が、光っていた。えっと思う。なにこれ? と混乱する。それから、むくむくと、ある感情がこみあげてくる。
 これって、ひょっとして、あれじゃない?
 よくアニメとかで見る、なんかの、入口。冒険の旅とか、どっかの"王国"とか、異世界に招かれたり、タイムスリップとかしたりして、主人公が活躍する──。
 マジか、と思う。すっげ、そういうこと、オレにも本当にあるわけ? でも、もし、冒険の扉が開くなら、こんな最悪な気分の時が似合ってる気もした。
 涙が乾き始めた目をこすり、大翔は自分の本棚の前に立つ。光っているのは一冊の本だった。去年の誕生日、親戚のおじさんがくれたけど、字ばっかりで絵がほとんどないから、一度も開かずにしまっていた本だ。その時、そのおじさんが言っていた。本を読むのは、すごくいい。本は君にたくさんのものを与えてくれる。中でもこの本のある一文を読んだ時に、オレの人生は変わったんだ──。
 嘘つけ、と大翔は思っていた。
 大人がそう語る時、なんだか全部が胡散臭くて、偉そうで、嘘っぽく聞こえるのはどうしてなんだろう。
 だけど──。
 今年はエイプリルフールがなくなるらしい。だったら。
 ──いっか、嘘でも。
 光る本に手を伸ばす。手に取り、ページを開くと、大翔の気持ちも体も時間も、すべてが一気に、その中に吸い込まれていく。
 この四月一日だからはじまる、未知なる嘘の、これが幕開け。


辻村深月(つじむら・みづき)
1980年2月29日生まれ。山梨県出身。2004年、『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞し、デビュー。『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞、『鍵のない夢を見る』で第147回直木三十五賞を受賞、『かがみの孤城』で第15回本屋大賞第1位となる。その他の著作に『スロウハイツの神様』、『ハケンアニメ!』、『朝が来る』、『傲慢と善良』、『小説 映画ドラえもん のび太の月面探査記』などがある。

【近著】

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