〈7月5日〉 五木寛之

文字数 1,644文字

スクランブルの朝


 そのホテルのレストランの窓からは、隣接する公園の緑の木立ちがよく見えた。
 朝食のメニューはいつもきまっている。トマトジュースにヨーグルト。スクランブルエッグかオムレツかは選択だ。1ミリほどの厚さのハムと野菜の葉っぱがお義理のようにそえてある。トーストかクロワッサン、それにコーヒー。
 レストランにはほかに客の姿はない。そもそも宿泊客がほとんどいないらしいのだ。新型コロナウィルスの蔓延とともに、ホテル業界は休業するところもふえているという。
 彼は二日前からそのホテルに滞在していた。明日は仕事を終えてチェックアウトしなければならない。なにしろ自費で宿泊しているのだから。
 彼は流行作家である。出版界での評価はともかく、自分ではそう思っている。実際に今もこうして執筆のためにAクラスのシティ・ホテルに宿泊しているのだ。
 彼は少し柔らかすぎるスクランブルエッグを口に運びながら、新聞を拡げた。コロナのパンデミックはとどまるところを知らない。ブラジルとインドがじわじわと感染ランクの上位に迫りつつある。
 朝刊の社会面に大きく扱われている記事が彼の注意を引いた。有名な交響楽団が無聴衆のコンサートを催す、というニュースである。ほかにもその手の記事があちこちに出ている。
 プロ野球も無観客試合を決行するらしい。無観客で舞台を上演する小劇団の話題もある。人気のあるロックのグループが聴衆を入れないステージを決行するという記事もあった。
「演奏することに意義があるのです。やらずにいられないからやるんだ」
 と、バンドのリーダーは語っていた。
〈無観客公演〉、という言葉が彼の心を刺戟した。流行作家たるもの、常に流行に敏感でなくてはならない。
 彼は食事を中断し、朝刊を置いて考えこんだ。無観客公演。無聴衆演奏。無観客試合。そうだ。ここにこそコロナ時代のカルチュアの姿があるのではないか。体がカッと熱くなるのを感じた。
 彼はガラケーをとりだした。小説雑誌の担当編集者を呼びだすと、相手はすぐに出た。彼は意気ごんで言った。
「いま、すごいアイデアが浮かんだんだよ」
「ほう。どんなアイデアですか」
「小説も時代に敏感でなければならない。わかるね」
「わかりますけど」
「音楽も、演劇も、スポーツもそうだ。コロナ時代の表現のキーワードは、なんだと思う?」
「さあ、なんでしょう」
「無観客、無聴衆。これだ。表現すること自体が重要なんだよ。小説の世界も時代に即応すべきだ。そうでなくては現代のカルチュアからとり残されてしまう。そこで考えた」
「ほう」
「無読者小説。読者を想定しない純粋な創作だ。書くこと自体が目的で──」
「コロナに感染したんじゃないでしょうね。締切りは明日です。ギリギリですから」
 電話はむこうから切れた。
 言われてみればトマトジュースの味がしない。少し熱もあるようだ。軽い頭痛もする。彼は目を凝らして窓の外を眺めた。公園の緑の木立ちが悪意を示すかのように揺れている。


五木寛之(いつき・ひろゆき)
1932年福岡県生まれ。戦後朝鮮半島から引き揚げる。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、‘67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、’76年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。‘81年から龍谷大学の聴講生となり仏教史を学ぶ。ニューヨークで発売された『TARIKI』は’01年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。また‘02年度第50回菊池寛賞、’09年、NHK放送文化賞、‘10年、長編小説『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞を受賞。主な著書に『戒厳令の夜』『ステッセルのピアノ』『風の王国』『親鸞』(三部作)『大河の一滴』『下山の思想』など。

【近著】

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