〈5月21日〉 相沢沙呼

文字数 1,597文字

わたしたちの関係


 朝食の時間だった。
 それなのに、あの人はまったく起きる気配を見せない。ねぇ、いい加減に起きてよ。わたしがそう何度呼びかけても無反応で、朝早くに仕事へ向かう頼もしい姿はどこへやら。仕方なく寝室へと向かって、だらしない寝顔を見下ろした。わたしが声をかけると、彼は億劫そうに寝返りを打って、こう呻くだけ。
「もうちょっと寝かせて……。今日の仕事は十時からだから」
 言いながら、捲れたシャツから覗くお腹をポリポリと掻いている。
 あのねぇ。
 思わず、げんなりとした。
 いつからか、わたしたちの生活は一変してしまった。
 はじめの頃は、むしろ嬉しい気持ちの方が勝っていた。いつも仕事で家を出てしまう彼が、ずっと家にいてくれるのだから。これまでとは比べられないほど、ふたりでいられる時間が増えて、わたしたちは閉じた世界での生活を満喫していた。ふたりで並んでテレビを眺め、夜遅くまで気兼ねなくふしだらな時間を楽しんでいた。いったい、いつまでこの暮らしを続けられるのだろうと、終わりが来ないことを祈っていたくらいだったのに。
「いやぁ、リモートワークは最高だね」
 そんなことを言いながら、夜遅くまでひとりテレビゲームを楽しんでいる彼の姿に、わたしは苛立ちを憶えるようになっていた。
 だって、時間はたくさんあるんだから、家事の一つでもすればいいじゃない? それなのに、リモートワークとやらもなんのその。この人ったら、働きもしないで、ごろごろと惰眠を貪ってばかり。それでいて、こっちが構ってほしいときには、仕事が忙しいから、とわたしを邪険に扱いはじめるのだ。しまいには、画面の向こうの同僚の女にデレデレし始める始末。本当に、こんな人だと思わなかった。
 わたしたちの関係が変わってしまったのは、きっと一緒に居すぎたせいなのかもしれない。わたしの方も、彼がずっと家にこもっているせいで、自由気ままにひとりの時間を満喫することができずにいた。昼寝だって満足にできないし、こっそりおやつを食べるのにも気を使わなくちゃいけない。狭い部屋のせいで、のんびりソファーに寛ぐことすら満足にできない。だからといって、外出しようとすれば、彼に妨害されてしまう始末。なんの権限があって、わたしの行動を束縛するの?
 ねぇ、わたしは、あなたにとって、どういう存在?
「そんな不満そうにするなって。お前にだって感染する可能性があるらしいぞ」
 わたしの抗議を無視しながらも、彼はようやく働く気になったらしく、わたしを強引に連行しながら仕事机の前に向かう。
「しばらく、そこに入っててくれよ」
 こんな居心地の良い箱を用意したからって、わたしの機嫌が良くなるなんて思わないでちょうだいね。あ、でも、これはこれで、なかなか収まりがいいじゃない? そうね、今日は勘弁してあげるけれど、明日こそ、いつも通り、七時に朝食を用意しなさいよ?
 ねぇ、ちょっと、わかってる?
「わかったわかった」
 わたしの訴えも虚しく、彼はパソコンに電源を入れながら、笑って言った。
「猫は気楽でいいよなぁ」


相沢沙呼(あいざわ・さこ)
1983年埼玉県生まれ。2009年『午前零時のサンドリヨン』で第19回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。『小説の神様』(講談社タイガ)は、読書家たちの心を震わせる青春小説として絶大な支持を受け、実写映画化(2020年公開)が発表されている。『medium 霊媒探偵城塚翡翠』で「このミステリーがすごい!」2020年版国内編第1位、「本格ミステリ・ベスト10」2020年版国内ランキング 第1位、「2019年ベストブック」(Apple Books)2019ベストミステリーの三冠を獲得した。

【近著】

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