〈4月20日〉 法月綸太郎

文字数 1,394文字

×××××の○○殺人事件


 非常事態宣言から明日で二週間、もっと前から外出を控えているので床屋が恋しい。そんな毎日だから、不要不急のことを書く。
 G・K・チェスタトンの名探偵ブラウン神父シリーズに「ヴォードリーの失踪」という短編がある(第四短編集『ブラウン神父の秘密』に収録)。創元推理文庫新版の扉で、「常識をはるかに超えたユーモアと恐怖の底に必然的な動機がひそんだ」と紹介されている佳品だ。「ユーモアと恐怖」に彩られた電光石火のトリックに目を引かれがちだが、むしろ後半の「必然的な動機」の邪悪さが物語の肝だろう。犯行動機そのものにまつわるWHYではないけれど、シオドア・スタージョンの変格ミステリ「考え方」に引けを取らない、「目には目を」の異様な発想があるからだ。
 ところが惜しいことに、このネタは完全に後出しなのである。一番大事なデータが最後まで伏せられていて、それ抜きでは真相を推理できない。せめてもう少し伏線があれば……と思っていたのだが、数年前この短編集を読み返した時、「おや、これはひょっとして?」と気になったところがある。
 『ブラウン神父の秘密』は枠物語の形式になっていて、巻頭にブラウン神父が自らの推理法について語る同題のプロローグが置かれている。このプロローグには妙な記述があって、どういうわけか「ヴォードリーの失踪」の犯人の名前が本編より先にバラされているのだ。「あるいはアメリカでもよく知られている×××××の○○殺人事件、こうした事件はかなりのセンセーションをまき起こしたものです」(中村保男訳、前掲15書頁)。作者本人が堂々と明記しているので隠さなくてもいいのだが、ここでは一応エチケットとして伏せ字にしておく。
 気になったのは、本編より前に犯人の名前(×××××)がバラされていることだけでない。実は「○○殺人事件」というのが重要で、「○○」という語を物語の空白(不足)部分に当てはめると、ホワイダニットの解明に必要なデータを逆算して、犯人と被害者のいびつな関係を推定することが可能になる。わかりにくい書き方で申し訳ないけれど、現物に当たれば何が言いたいか、一目瞭然のはず。
 このプロローグは収録短編を一冊にまとめる際、後から書き下ろしたものである。だとすれば、「逆説の巨匠」チェスタトンがわざわざこういう自爆めいた記述を書き加えたのは、先に犯人を明かしたうえで、それを上回る「意外な動機」を当ててみろと探偵マニアに挑戦するためだったのではなかろうか? なので、これから「ヴォードリーの失踪」を読もうという読者は、プロローグの記述をしっかり頭にたたき込んで趣向を凝らしたホワイダニットの謎に挑んでほしい──これだけヒントを出しても、たぶん当てられないと思うけど。


法月綸太郎(のりづき・りんたろう)
1964年島根県生まれ。京都大学法学部卒業。在学中は京都大学推理小説研究会に所属。1988年、『密閉教室』でデビュー。2002年「都市伝説パズル」で第55回日本推理作家協会賞短編部門、2005年『生首に聞いてみろ』で第5回本格ミステリ大賞小説部門を受賞。その他の著書に『キングを探せ』『ノックス・マシン』『法月綸太郎の消息』など多数。

【近著】

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