〈4月18日〉 瀬名秀明

文字数 1,743文字

絶望と希望


 私は朝九時半に仙台の事務所で待機していた。私はこの日、うつ状態による休みを経て一ヵ月ぶりに仕事を再開したのだ。NHKの指針も急速に変わり、中村幸司解説委員以外の四名全員はリモート出演となった。スカイプでTVに出るのは初めてのことだ。
 堅達京子プロデューサーによるBS1スペシャル「ウイルスVS人類2」の収録である。岡部信彦、河岡義裕、大曲貴夫各氏に治療薬開発について聞く。私は司会役に徹する。第一回のゲストは押谷仁、五箇公一両氏で、私と中村氏が続投。前回の収録は三月一一日、東日本大震災の日だ。翌一二日未明にWHOはパンデミックを宣言する。専門家会議の押谷氏に詳しく話を聞けた最後の機会だったと思う。
 三月、私の出演した『100分de名著 アーサー・C・クラークスペシャル』が放送されていた。想定される視聴者の①SF初心者、②ライトSFファン、③コアなSF読者のうち、私は①②を対象とするが③の人々の心情にも配慮し慎重にふるまうと事前に決めた。番組は①②の層から歓迎されたが、予想通り③からの反応はほぼ無視ないしマウント行為だった。私は三月下旬、うっかりツイッター上で③の層からの私のミス指摘を見てしまった。たったひとつのミスですべての努力は瓦解し非難に晒されるだろう、どんなに提言してもSF社会は変わらないではないか、と瞬間的に感じた。自分、周囲、将来への否定的認知だ。絶望感に囚われ、急速に六年前のうつ状態が再発し、主治医からは一ヵ月すべての仕事を休んだ方がよいと助言を受けていた。
 一ヵ月間、原稿は書けなかった。だがその間に『結局、自分のことしか考えない人たち 自己愛人間への対応術』という本を手に取り、デビュー以来ずっと私が苦しんできたものが何だったのか初めてわかったように感じ、少し落ち着いた。ツイッター上に渦巻く政策批判も一歩退いて見られるようになった。誤解なきよう強調しておくが③の層すべてが自己愛人間ではないし、私はミスを指摘して下さった方を決して怨みもしない。また真摯に問題共有し迅速に公式サイトへ訂正・お詫び文を掲載して下さったテキスト編集部、番組プロデューサーの皆様には感謝している。この番組に参加できて本当によかったと思う。
 前週に観たETV特集でジャック・アタリの唱える「利他の精神」が紹介されていた。キャスターから「あなたは一貫した楽観主義のようだがそのポジティビズムはどこから来るのか」と問われ「ポジティビズムと楽観主義(オプティミズム)は違う。ポジティブに考えて生きることは楽観主義ではない」と彼が答えたのに感銘を受けた。それはすなわち人間らしい想像力と希望を持って生きることだ。SF作家クラークは楽観的な懐疑主義者を標榜していたが、いまはそれだけではだめなのだ、クラークに学びつつも自己愛の限界を越えてその先を想像すべきだと感じた。
《楽観的にならないこと、悲観的にならないことで、もっとも大事なことは絶望しないことです》──二〇〇九年に押谷氏から聞いた言葉だ。番組プロデューサーは司会役の私がアタリに言及することに賛同してくれた。
 私は、だから文学に対し楽観も悲観もしない、絶望もしないと決めた。ただ希望を持つ。私はこの日から原稿を書き始めた。読者に楽しんでいただくために。


瀬名秀明(せな・ひであき)
1968年静岡県生まれ。東北大学大学院薬学研究科(博士課程)修了。薬学博士。1995年、『パラサイト・イヴ』で第2回日本ホラー小説大賞を受賞し、デビュー。1998年、『BRAIN VALLEY』で第19回日本SF大賞を受賞。幅広いジャンルの小説を発表する一方で、科学ノンフィクション、文芸評論にも精力的に取り組む。2011年、日本SF 作家クラブ会長に就任し、2013年に辞任、退会。パンデミックに関する著作に『パンデミックとたたかう』(共著=押谷仁)、『インフルエンザ21世紀』、また近年の著書に『この青い空で君をつつもう』『魔法を召し上がれ』『小説 ブラック・ジャック』『ポロック生命体』などがある。

【近著】

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