(66)近衛龍春【大島光義】

文字数 653文字

現代を代表する作家・漫画家・学者・舞台で活躍する芸人やタレントの方たちに、好きな戦国武将のアンケート調査を実施いたしました。

激動の令和において、人気のある武将は果たしてだれなのか?!

近衛龍春(このえ・たつはる)さん


──1964年生まれ。大学卒業後、オートバイレースに没頭。通信会社勤務、フリーライターを経て『時空の覇王』でデビュー。主な著作に『九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義』などがある。近著に『武士道 鍋島直茂』。

【わたしの好きな戦国武将】


大島光義

美濃の関で生まれた大島光義は、幼くして親と所領を戦で失った。武士の嗜みとして弓を修行したところ、奥深さに惹かれて没頭。十三歳で初陣を果たし、敵を仕留めて功名を上げ、斎藤氏の家臣、長井道利に属した。美濃の国主が斎藤道三、義龍、龍興、織田信長、信忠、信孝と代わり、光義は信忠以外の主に従って諸戦場を駆け、さらに豊臣秀吉、徳川家康にも仕えた。


弓の腕は鉄砲全盛の時代に「百発百中ノ妙ヲアラワス」と言われたほどで、生涯五十三度の合戦に臨み、四十一枚の感状を得た。


諸将が尻込みする中、光義は京都の法観寺八坂の塔の窓に矢を十本射込んでも見せた。


極め付きは九十三歳という高齢で関ヶ原合戦に参陣したこと。家康の本陣にいたとも、大垣城攻めに参じたとも言われている。


光義は弓一張りで一万八千石の大名に出世。子孫は旗本として明治維新を迎える。


時代遅れでも一つのことを純粋に追い求めれば、評価されることを示した武将でもある。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色