人間の表と裏を描く令和の人間模様

文字数 4,965文字

話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!

そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。

ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。

今回の話題作

綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』

文・構成:ふくだりょうこ

■POINT

・言いたいことが言いづらい世の中での葛藤

・あらわになる新たな人間の欲

・極限状態の中、人間は何を考えるのか。

■言いたいことが言いづらい世の中での葛藤


「一応、暴力だろ。石でも言葉でも嫌悪でも」


暴力は力だけではなく、さまざまな形がある。SNSがにぎわい出してから、気づきづらい暴力を受けている人は多くいるかもしれない。


綿矢りさによる短編集『嫌いなら呼ぶなよ』。赤地に水色のドットの表紙がポップだけれど、目に痛い。まさに、作品の内容を表しているかのようだ。そしてタイトルだけで大きくうなずいてしまう。「嫌いなら呼ぶなよ」。本当にそのとおり。嫌いだ、嫌いだ、と言っているわりに、仲間内の飲み会があると呼ぶ。なんなんだろう、その感覚。


収録されている短編は4編。『眼帯のミニーマウス』の主人公はかわいいものが大好きで、承認欲求が強いりな。あるとき、職場でプチ整形をしていることがバレて、注目を浴びることになってしまう。

『神田タ』は主人公のさなえがあるYouTuberにハマり、次第にアンチコメントを書きまくるヤバイファンになっていくさまを描く。

表題作の『嫌いなら呼ぶなよ』では、妻の友人のホームパーティーに呼ばれた男が、その場で妻や友人たちから不倫を糾弾されていく。そして、『老は害で若は輩』では、小説家・綿矢と取材ライターの板挟みになる編集者の葛藤を描く。

サラッと概要を書いただけでヤバさが漂ってくる。『嫌いなら呼ぶなよ』はポップだが、現代の地獄が広がる短編集だ。

■あらわになる人間の新たな欲


『眼帯のミニーマウス』と『神田タ』は現代だからこそ起き得るエピソードであり、響く作品なのではないか

『眼帯のミニーマウス』で登場する承認欲求はSNSがあるからこそ肥大してしまった欲望だ。誰もが持っている欲望だが、これまではきっとその欲望を自覚することもなかった。そもそも「承認欲求を持って何が悪いの?」という話である。誰だって認められたい。ほめられたい。ちやほやされたい。

作中に登場するプチ整形も承認欲求の延長線上にあるもの。今ではプチ整形はかなりカジュアルになっているし、そうそう騒ぐものではないのだ、きっと。ただ、ふとしたときに、自分が何者になりたかったのか、自分の本当の姿とは? と考え始めると急に恥ずかしくなることがある。誰かに認められるために着飾った自分は本当の自分なのか? 無意識のうちに行っている自己プロデュースが誰のためなのかを考えさせられる。

『神田タ』はYouTuberという職業がメジャーになりつつある時代だから起こりえること。芸能人より近くて、自分の声に耳を傾けてくれそうな距離感。「私を見て!」という自己顕示欲。「好き」よりも顕示欲が勝り、ファンなのに、アンチコメントを書き込んでしまう複雑な心情が丁寧に描かれている。丁寧に描かれているからこそ、その感情のグロテスクさがよくわかる。これは対YouTuberだけじゃなくて、さまざまな自分の好きなものに当てはまる感情だ。今の時代、誰しも「ヤバイファン」になってしまう可能性があることが示唆されていて、ゾッとする。

自分がどう見られるかは、最重要課題なのだ。

■極限状態の中、人間は何を考えるのか。


『嫌いなら呼ぶなよ』では、不倫男が糾弾される中で描かれる心中が愉快だ。不倫は悪なのだが、男は動揺しつつも、現実逃避を試みる。誰かにインタビューされている体で、脳内で話し始めるのだ。誰しもあるのではないだろうか。あまりに苦痛な時間帯をどうやって乗り越えるか思案した結果、脳内で別の世界を作り出し、逃避してしまう。そして、これは本当に逃避でしかなく、何の解決にもならないのだけれど、どうにかして逃げたい、という気持ちがまざまざと伝わってきて、いたたまれなくなってくる。

『老は害で若は輩』は登場するのが作家と編集者、ライター、と一見違う世界のことのように感じられるが、どのキャラクターに感情移入するかで見方が変わってくる。問題の内容は違ったとしていても、似たようなケースになることは、社会人ならあり得る。板挟みになった辛さを実体験として持っている人は多いのではないだろうか。編集者は作家とライターのやりとりを見て、ああでもないこうでもないと考えるが、解決策は見つからない。どちらかが引かない限りおさまらないもめごとなのだ。限界まで追い詰められた編集者がとった行動は、絶体絶命だけれど、爽快だ。


人間の外と内側を丁寧に描いた作品。それぞれの作品のどこかしらに「自分」を見つけ、ヒュッと心が痛くなる瞬間を味わってみてほしい。

今回紹介した本は

『嫌いなら呼ぶなよ』

綿矢りさ

河出書房新社

1540円(1400円+消費税10%)

「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー

「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)

「多様性」という言葉の危うさ(『正欲』朝井リョウ)

孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)

お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)

2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)

「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)

ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)

絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)

黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)

恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)

高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)

現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)

画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)

ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人

人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)

猫はかわいい。それだけでは終われない、猫と人間の人生(『みとりねこ』有川ひろ)

指1本で人が殺せる。SNSの誹謗中傷に殺されかけた者の復活。(『死にたがりの君に贈る物語』綾崎隼)

“悪手”は誰もが指す。指したあとにあなたならどうするのか。(『神の悪手』芦沢央)

何も信用できなくなる。最悪の読後感をどうとらえるか。(『花束は毒』織守きょうや)

今だからこそ改めて看護師の仕事について知るべきなのではないか。(『ヴァイタル・サイン』南杏子)

「らしさ」を押し付けられた私たちに選ぶ権利はないのか(『川のほとりで羽化するぼくら』彩瀬まる)

さまざまな「寂しさ」が詰まった、優しさと希望が感じられる短編集(『かぞえきれない星の、その次の星』重松清)

ゾッとする、気分が落ち込む――でも読むのを止められない短編集(『カミサマはそういない』深緑野分)

社会の問題について改めて問いかける 無戸籍をテーマとしたミステリー作品(『トリカゴ』辻堂ゆめ)

2つの顔を持つ作品たち 私たちは他人のことを何も知らない(『ばにらさま』山本文緒

今を変えなければ未来は変わらない。現代日本の問題をストレートに描く(『夜が明ける』西加奈子)

自分も誰かに闇を押し付けるかもしれない。本物のホラーは日常に潜んでいる(『闇祓』辻村深月)

ひとりの女が会社を次々と倒産させることは可能なのか?痛快リーガルミステリー(『倒産続きの彼女』新川帆立)

絡み合う2つの物語 この世に本物の正義はあるのか(『ペッパーズ・ゴースト』伊坂幸太郎)

新たな切り口で戦国を描く。攻め、守りの要は職人たちだった――(『塞王の楯』今村翔吾)

鍵を握るのは少女たち――戦争が彼女たちに与えた憎しみと孤独と絆(『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬)

運命ではない。けれど、ある芸人との出会いがひとりの女性を変えた。(『パラソルでパラシュート』一穂ミチ

吸血鬼が受け入れられている世界に生きる少女たちの苦悩を描く(『愚かな薔薇』恩田陸)

3人の老人たちの自殺が浮き彫りにする「日常」(『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織)

ミステリーの新たな世界観を広げる! 弁理士が主人公の物語(『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』南原詠)

大切な人が自殺した――遺された者が見つけた生きる理由(『世界の美しさを思い知れ』額賀澪)

生きづらさを嘆くだけでは何も始まらない。未来を切り開くため「ブラックボックス」を開く(『ブラックボックス』砂川文次)

筋肉文学? いや、ひとりの女性の“目覚め”の物語だ(『我が友、スミス』石田夏穂)

腐女子の世界を変えたのは、ひとりの美しい死にたいキャバ嬢だった(『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ)

人生はうまくいかない。けれど絶望する必要はないと教えてくれる物語たち。(『砂嵐に星屑』一穂ミチ)

明治の東海道を舞台としたデスゲーム。彼らがたどり着くのは未来か、滅びか。(『イクサガミ 天』今村翔吾)

自分の友達が原因で妹が事故に遭った。ぎこちなくなった家族の未来は?(『いえ』小野寺史宜)

ある日突然、愛する人が存在ごと世界から消えてしまったとしたら?(『世界が青くなったら』武田綾乃)

あり得ない! 事件を一晩で解決する弁護士・剣持麗子、見参。(『剣持麗子のワンナイト推理』新川帆立)

想いは変わらない……夫婦が織りなす色あせない「恋愛」(『求めよ、さらば』奥田亜希子)

別れ、挫折、迷い。それぞれが「使命」を見つけるまでの物語(『タラント』角田光代)

骨太リーガルミステリが問いかける。正義とは正しいのか。(『刑事弁護人』薬丸岳)

思うようにいかない人生に、前を向く勇気をくれる一冊。(『オオルリ流星群』伊与原新)

読んでいる者の本性を暴く? 爆発を予言する男との息詰まる舌戦!(『爆弾』呉勝浩)

リアルとフィクションが肉薄……緻密な取材が導き出す真実とは?(『朱色の化身』塩田武士)

沖縄本土復帰直前に起こった100万ドル強奪事件! 琉球警察に未来が託される(『渚の螢火』坂上泉)

舞台は公正取引委員会! ノンキャリ女性の奮闘劇(『競争の番人』新川帆立)

思わず「オーレ!」と叫びたくなる! 新感覚の闘牛士×ミステリー(『情熱の砂を踏む女』下村敦史)

孤独な青年が音楽教室を舞台に裏切りと奏でる喜びに揺れ動く(『ラブカは静かに弓を持つ』安壇美緒)

少し苦いけれど、ハッピーになれる現代のおとぎ話(『マイクロスパイ・アンサンブル』伊坂幸太郎)

愛と別れを経て人は強くなる。孤独と寂しさを乗り越える物語。(『夜に星を放つ』窪美澄)

映画界を舞台に躍動する女性たち…挫折と希望のお仕事物語(『スタッフロール』深緑野分)

宇佐美りんが描く、生々しい家族の慟哭(『くるまの娘』宇佐美りん)

食を通じて暴かれる? 人間の本性とは。(『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子)

こんな世界で暮らしたくない……でもやがて来るかもしれない世界に背筋が凍る(『信仰』村田沙耶香)

誰も信用できない、意外な着地点……予想外の展開が爽快!(『入れ子細工の夜』阿津川辰海)

これが令和のミステリ作品。リアルな設定にゾッとする。(『#真相をお話しします』結城真一郎)

好きな人と一緒にいたい…その想いがままならないもどかしさ(『汝、星のごとく』凪良ゆう)

私たちは意図せず詐欺に加担しているかもしれないという恐怖(『嘘つきジェンガ』辻村深月)

人間の表と裏を描く令和の人間模様(『嫌いなら呼ぶなよ』綿矢りさ)

登場人物紹介

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