絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力

文字数 2,151文字

話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!

そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。

ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。

今回の話題作

『カード師』中村文則
この記事の文字数:1,551字

読むのにかかる時間:約3分6秒

文・構成:ふくだりょうこ

■POINT

・ひとりの占い師に依頼された断りたい案件

さまざまな物語と予想外の出来事が占い師を導く

占いに頼れない未来に、人が求めるもの

■ひとりの占い師に依頼された断りたい案件


「この味気ない現実だけ見て生きていくには、この世界はあまりにも厳しい」


 何気なく、文中に差し込まれた、主人公のセリフ。ただハッとしてしまう。自分がいま生きている世界を思い出して。


 2019年10月1日から2020年7月31日まで朝日新聞で連載されたのが本作『カード師』だ。

 主人公の男は占い師。しかし、占いを信じているわけではない。時には違法カジノのディーラーとしても働く。そんな彼に英子という女から厄介な仕事が持ち込まれた。それはある男――佐藤の顧問占い師になれ、ということ。“佐藤で始まる名”も、“時間まで記された生年月日”も、四柱推命や姓名判断で最上と呼ばれるものだった。偶然? いや虚偽である。

男には特別に能力はなかったが、占い師として、ディーラーとしての目が養われていた。だからこそ依頼された対象者の佐藤には近づかないほうがいいと判断し、断ろうとするが、仕事を持ち込んできた女は引かない。


「お金も必要でしょ? あなたの惨めな夢のために」


 彼の夢は隠居だった。断りきれずに女からの依頼を受けることになった彼は次第に追い込まれていくことになる。

■さまざまな物語と予想外の出来事が占い師を導く


 占い師の直感通り、佐藤は近寄るべきではない男だった。人も殺している。そしてそのことに対して罪悪感も抱いていないように見える。占い師は逃げる算段を立てるが、それも叶わず、依頼人であるはずの英子は消え、大切なものを盗まれ、乗り気ではなかったギャンブルに巻き込まれ、更には命の危機にも晒され……、と、予想外の出来事に巻き込まれていく。ただ隠居のためにお金を貯めていた男が、少しずつ道を踏み外していっているようにも見える。


 と、話の流れを追うと、巨大な組織と占い師の対決、もしくは占い師が組織の悪を暴くというストーリーに予想するが、そういうわけではない。物語は彼が巻き込まれる事件だけではなく、彼の幼少期の記憶、夢の話、佐藤から譲られた紙の束に書かれた物語にまで及ぶ。それゆえ、ときどき、物語の行方を見失ってしまいそうになる。

 しかし、一見何も関係のない話は、彼がひとつの結論に達するまでに必要な過程だ。人の思考は単純なものではなく、迷い、時に立ち止まる。さまざまな物語を読み重ねていくことでより彼の結論を納得できるようになるはずだ。


■占いに頼れない未来に人が求めるもの


 作中には、実際に起こったさまざまな事件の名称がそのままに出てくる。オカルトと社会、理性と欲望、潔癖と不潔etc.そんな世界の対比が事件と共に現れる。不思議なもので、知っている事件の話題が出てくると、すまし顔だった物語が急に匂いと体温を帯びてくる。そして文字にすると、自分たちが今生きている世界はなんとも悲劇続きなのか、ということが分かる。

 今だって、何かの悲劇の続きを生きているように感じる人もいるはずだ。

 占い師がいるなら、これらの悲劇を回避することができたのではないか? そう思う人もいただろう。たいていのことは起こってから「アレはあのことだったのだ」と後付けで結論づけられるばかり。絶望から逃れることができないことに絶望もするが、それでも人は生きることをやめない。ほんの少しの光を期待してしまう。

 人は完全に失望することはなく、明日には良い日になっているかもしれない、と願ってしまう。一寸先は闇、というが、一寸先は光かもしれない、と思う。この物語の主人公である占い師だってそうだ。どんな理不尽の中にいても、人間は何かしらの希望を抱いてしまう生き物なのだ。そんなことを訴えかける1冊である。

今回紹介した本は……


カード師

中村文則

朝日新聞出版

1980円(1800円+消費税10%)

☆こちらの記事もおすすめ

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色