人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩

文字数 2,531文字

話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!

そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。

ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。

今回の話題作

 『まだ人を殺していません』小林由香

この記事の文字数:1,668字

読むのにかかる時間:約3分20秒

文・構成:ふくだりょうこ

■POINT

・父は殺人犯――引き取ることになったのは「悪魔の子」

・子どものことがわからない。養育者の苦悩

・心を開いてほしい――その気持ちが真実を導く

■父は殺人犯――引き取ることになったのは「悪魔の子」


「神様じゃないのに責任が取れるんですか?」


 小学四年生が大人に投げかけた言葉。こんな言葉をかけられたら、自分なら絶句してしまう。


 小林由香著『まだ人を殺していません』。

 自宅でひとり、お酒を飲んでいた翔子は、テレビから流れるニュースに目を見張る。

「大型容器に入れられてホルマリン漬けにされたふたりの遺体が発見され――」

 映し出された容疑者の男は南雲勝矢。翔子の姉・詩織の夫、つまり翔子の義兄だった。


 姉夫婦には息子の良世がいたが、姉は出産直後に亡くなっている。そのため、勝矢の逮捕を受けて、翔子は彼の息子を預かることになった。

 ネット上では殺人犯の子だからと「悪魔の子」と揶揄される良世。姉とそっくりなかわいらしい顔をした小学4年生の男の子。しかし、無表情で感情が読めず、場面緘黙症で翔子の前で声も発しない。また次第に不可解な行動を起こすようになり、翔子を悩ませる。

 少しでも良世のことを知りたいと勝矢に面会にいく翔子だったが、彼の口から出たのは「息子は人殺しなんです」という耳を疑うような言葉だった。

 翔子は「そんなことはない」と自身に言い聞かせつつも、良世に対して不安を募らせていく。

■子どものことがわからない 養育者の苦悩


 良世と共に暮らし、自身が養育者になることに、翔子は不安を抱いていた。良世の人格に対してだけではない。翔子はかつて自分の娘を死なせてしまったからだ。公園で友達をスコップで殴ったことを翔子が咎めた直後、その場から逃げるように駆け出した娘。道路に飛び出し、車に轢かれたのだ。

 子育てに関する悩みはたくさんあった。教職経験がある翔子は、周りの母親たちから育児相談を持ち掛けられることが多かった。そのため、逆に自分は誰にも相談できなかったことも彼女の悩みを大きくしていた。

 亡くなった原因は事故だ。それでも翔子は、自分の何がいけなかったのだろう、と心のどこかで常に責め続けている。良世と暮らすようになってからも常に自問自答を繰り返していた。彼に対してどのような行動を取れば正解なのか、子育てに正解はあるのか。

 同時に、良世が子どもらしからぬ行動を取ると、つい頭をよぎってしまう。「殺人犯の息子」「悪魔の子」というキーワード。大好きだった姉の息子であるにもかかわらず、そう思ってしまう自分にも、翔子は苦しみを抱えていた。

■心を開いてほしい――その気持ちが真実を導く


 良世の行動は読者から見ても様子がおかしい。

 良世は絵が得意だが、描くのは怪我をした動物たち、首が切断された赤ん坊など残酷なものばかり。特に首が切断された少女、その隣で朗らかに笑う母親の絵に翔子は恐れを抱く。その少女と母親は、翔子と娘だったのだ。

 良世は転校先の小学校でも、問題を起こしていた。いじめとも取れるクラスメイトへの行動、動物への残虐な扱いを行い、それを動画にも残していた。さまざまな行動が、勝矢が言っていた「人殺し」に繋がってしまう。一方で不可解なのは良世から飛び出した「お父さんは僕を守ってくれた」という言葉。

 読んでいるうちに、実は殺人事件の犯人は父親の勝矢ではなく、良世なのではないか? という疑惑が心の中で渦巻いていくようになる。

 この作品はミステリーであるが、謎解きというには少し違う。翔子は事件の全貌を知りたいと思っているのではない。良世を知りたい、心を開いてほしいと思っているだけなのだ。その気持ちがやがて真実を明らかにすることになる。

 どうして良世は話さなくなったのか。どこか不気味なその行動の理由は。そして勝矢はなぜ人を殺したのか。


 最後まで読み終えると、良世に対してひどく申し訳ない気持ちを抱いてしまった。

 人間は間違いを犯す。大人も正しい行動を常にとれるわけではない。そんな大人が人を育てる。その難しさと、人を育てる意味をあらためて考えるきっかけになるかもしれない。

今回紹介した本は……


まだ人を殺していません』

小林由香

幻冬舎

1870円(1700円+消費税10%)

「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー

「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)

「多様性」という言葉の危うさ(『正欲』朝井リョウ)

孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)

お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)

2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)

「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)

ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)

絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)

黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)

恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)

高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)

現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)

画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)

ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人

人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)

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